『1歳増えたとて』
自虐的なことをあえて書くとしますが、私の小さい頃に見たあの頃の大人と今の私が同い年の時に価値観というものがこんなにも違うのかと思う。かつてはテレビこそが全ての情報源のような価値観を持っていたが今じゃそんな価値観もどこへやら。スマホ片手に見たことない角度から見える世界もある。いってしまえばどこの誰かもわからない人が一部界隈では人気者のようなことが起きるわけである。まあ私にはそのような経験は一度もないですが。
あの日テレビで見たタレントも年月を重ねると変化するし、私よりも若いアイドルの名前も覚えれない。よく「アイドルグループの顔が同じように見える。」とおじさんあるあるの意味をわかったような気がする。そしてアニメキャラの実年齢が私より年下になった時に喪失感というものはかなり私にダメージ受けたりする。そう考えてみるとあの日渋い演技してた俳優が私より若いこと知ると驚いてしまう。
よく先人達は「俺の若い頃は〜」という言葉から始まるものは自慢、武勇伝がほとんどを占めていて昭和独特の感覚を今の若い子に驚いてもらう番組もある。知っていて当然だなんて言いたくないがこういう時に私はどんな表情すればいいのかわからない。それはきっと先人達も「今の若い子の考えがわからない。」と思うだろうし、若い子も「このおじさんの話わからない」と思う。こういうことは仕方ないとどこかで妥協しないと段々と私も遠い未来の若い子も笑えなくなる。
正直なこというと年齢を1つ重ねるとどうもついてこれないことも増える。あんなにどうでもいいこと覚えていても気付いたら思い出すまでゲームソフトのナウローディング画面が出るくらいの感覚になる。検索すれば答えなんてすぐ出る、しかし検索したらそれは自分の負けということを認めてしまうという謎の葛藤、こういうのが後にみんなから嫌われる老害へと進化する。
何が正しいかなんて、私が決めることでもない。テレビが絶対的な価値観だろうがスマホが絶対的な価値観だろうが知らない。ただ私という価値観は持つことは自由だが受け入れの姿勢はどこかで容量空けないと型落ちモデルのような扱いを受けるでしょう。私なんて頭良くないし、そして面白くない。もっというとするならば柔軟性というものはない。かと言って価値観を押し付けるつもりもない、押し付けられるのはなお不快です。
34歳最初の記事がこんな暗くていいのか。
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