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『USBと祖母』

トークスキルなんてないこと自覚してる私ですけど、雨の日以外は歩くことが多いわけでして、その中でどうやって何かしらのネタに変化することができるか面白いかどうか考えてない。時事ネタも鮮度が決め手で今この瞬間を捉えないと後からグダグダ書いたって事後報告にもならない。

 話術はないが、文章作成する時は「こんなことがあった」というものをどの視点から書いたら相手に伝わるかとまでは考えてはいないが、私が考えてる文章というものは「私の祖母にUSBの挿入口を説明する感覚」だと思っている。

 これは過去にあった実話で田舎暮らしの祖母が隣町にて手持ちの扇風機を買いに行った話でして、大型家電量販店にて電子機器なんぞ自分一人で買いに行ったことない人にとってはまずUSBというものを説明しないといけない。そして、タイプBやらタイプCなどの違いの説明するという。短気な人ならUSBの説明にてイライラするわけで、手回し扇風機で良いじゃんと開き直ってしまう。ただこれが自分が店員側になると「本人は購入する意志がある、説明には時間がかかる」となった時を考えるとトークも文章も共通点として「知らないことを知ろうとする人にどうわかりやすい伝えるか」という国語力というよりは道徳的なことに近い。思いやりの視点として考えたらの話で。

 たまに私も「こんなの知ってて当然だよ」みたいな押し付けが大きいと後からこうしたら良かったかもしれないと思ったりする。こういう押し付けがすれ違い生み出してしまうんだろうと思ってる。ただ難しいから悩むが、解説などが上手くできた時の快楽ほど、たぶんスッキリする。

 正直な話、横文字ばかり羅列して誰がわかるんですか?テレビで解説してもわからないものがあるんですよ。だから先人は言います。「辞書をひきなさい」とそうすればわからない言葉の意味も知れますし、わからない字もわかるし、なんだったら一文字前後の言葉も知れると。ただ我が家にないことが1番の弱みで実家に行けばあるから良いかと思ってしまう。

 辞書は1家に1冊くらいであれば使えるけど、ただ新語が色々と産まれてからの死語の多さ。私は言葉を正しく使えているかと未だに霧の中をさまよっている気がする。ただ1つだけ自信持っていきたいのは、わざと「じ」を「ぢ」に変えて使うことをしてないが、本来の使い方だとこっちのほうが正しい言われるとそれは私が悪いと後悔する。

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