天使だったなら
「天使」と聞いて真っ先に思い浮かべるのは、どんな存在だろうか。
天使とは
あくまで私のイメージだが、子どもの姿をしていて、髪の毛はブロンド、真っ白い肌で、布で下半身を覆っている。弓矢を持っていて、頭上には黄色だか金色だか分からないけれど輪っかが浮いている。そして白い羽が背中から生えている。
書き出しながら、もしかしたら私のイメージする天使はキューピッドと呼ばれるものと混同しているかもそれないと思った。
少し調べてみる。
画像検索もしてみる。
これが天使の検索結果である。
私のイメージは大体合っていたようだが、弓矢を持っているのはやはり天使ではなくキューピッドだそうで、その違いについては後述する。
もう少し調べてみる。
どうやら神からのおつかいで人間界にやってくることがある存在のようだ。宗教によっても天使の定義は異なるらしい。
天使は必ずしも善か
天使とは、「善」なる存在なのだろうか。
個人的には、否だ。
天使は神様でも仏様でもない
ほらね。
天使と悪魔は紙一重。
そしてこの「悪魔」は神に反逆する存在として「堕天使」と呼ばれることもあるようだ。
天使は神の意志を伝えてくれるだけであって別に私たち人間に救いの手を差し伸べてくれるような存在でもない。
神が人間を守れと言えば守ってくれるかもしれないが、別に天使側は私たちになんの思い入れもないんじゃなかろうか。
「神頼み」をすることはあっても「天使頼み」をするなんて話は聞いたことがない。
(ちなみに個人的には、神様も仏様も無慈悲であり、人間を救ってくれる存在ではないような気がしている)
天使とキューピッド
次は私が勘違いしていたキューピッドとの違いを見ていこうと思う。
なるほど。天使は神の使い、つまり≠神。一方のキューピッドは愛を司っている神である、と。
(天使を「構成員」と表現するのはなんだかイメージと乖離していて面白いと思った)
もう少しキューピッドという存在について見ていく。
イラストのイメージのせいで天使と混同されがちなのだろう。
いやはや。好きになってはいけない人だと分かっていても抗い難いほど強烈に惹かれ合ってしまうのは天使のいたずらかと思っていたが、どうやらキューピッドの仕業だったようだ。
天使に冤罪を着せてしまうところだった。危ない。
天使は弓矢も持っていなければ、人と人をくっつけたり引き離したりすることもしない。
「天使だったなら」
誰かにとっての(もしくはみんなにとっての)天使でありたい、と思うかどうか。
それを判断する前に、私が日常の中で天使という単語を耳にする機会をまず思い出してみたい。
白衣の天使
ひとつは「白衣の天使」だ。看護師さんのことだ。
たしかに私は看護師さんを天使だと感じたことがある。尿管結石の痛みに悶え苦しみ救急搬送されてきたストレッチャー上の私に、落ち着いた様子で「痛いですね、辛いですね、ちょっとズボン下ろしますね」と言いながらテキパキと痛み止めの坐薬を入れてくれた天使だ。
苦しみから解放してくれる存在、という意味合いでそのとき私は彼女のことを天使だと思った。
赤ちゃんは天使?
つぎに挙げるのは、赤ちゃんを見たときに「え〜かわいい〜天使〜」的な表現をする際に用いられる天使だ。
たしかに赤ちゃんはとてつもなく可愛く、そしてすぐに壊れてしまいそうな頼りなさで、そこがなんだか神々しい存在にも見えたりする。これは無垢=天使という認識での表現だと解釈する。ただし、調べた結果によれば実際の天使は神に反逆し悪魔(堕天使)にもなり得るわけだ。
そして子どもが苦手な私からすれば泣き叫ぶ赤ん坊はどちらかと言えば悪魔に見えたりもする。
橋本環奈は天使、じゃあ菜々緒は?
最後に、可愛らしい女性に対して用いられる「天使」だ。ただしこれは、中性的な容姿の男性や、童顔な男性、雰囲気の柔らかい男性にも用いられることがある(と私は感じている)
「橋本環奈まじ天使」みたいなことだ。
印象としてはひとつ前の赤ちゃんを天使と表現するのに似ているような気がしていて、幼さ・清楚さ=無垢さを感じさせる対象に使われると感じる。スレンダー美女には天使というより「女神」という単語が用いられる傾向にあるからだ。
橋本環奈は天使で、菜々緒は女神なのはなぜか。橋本環奈を女神と呼び、菜々緒を天使と呼ぶのは感覚としてアリかナシか。(ここでは掘り下げて考えないが)
誰かの天使になりたいか
さて、私の身近な「天使」という単語の使われ方をおさらいしたところで、私自身が自分を「天使だったなら」と思うか否かだが、答えはノーだ。
私は天使になりたくない。
前項で最初に示した「白衣の天使」パターンについて少し深掘りしたい。
個人的に、女性のケア要員化、偉大なる母幻想、無償の愛、そういった類の思想が苦手なので、「尽くしてくれる人」としての「白衣の天使」という単語の使われ方に疑問がある。
看護師さんたちは「尽くしてくれる人」ではない(と私は認識している)。お給料をもらいプロの仕事をした結果、我々に救いをもたらし、天使たりえているのだ。サラリーマンであるからして、上からの指示で(もちろんやりがいや理念などは個々人が持ちつつも)業務をおこなっている。
だから私は、上(天使でいうところの神様、サラリーマンでいうところの上司)の指示で何かを行なった結果ではなく、私自身が自分の意思で何かを行い、その結果、誰かに救いや癒しを与える存在でありたいのだ。
私自身が(誰に頼まれたわけでもなくとも心の底から私自身が)やりたいと思って、うなだれている誰かの頭をそっと抱き寄せて髪を撫でたり、不安に押しつぶされそうな誰かの冷えた手を握ってただそばに居たり、そうした結果、「きみは天使だ」と思ってもらえたら。
つまり実際、私がなりたいものは「天使」ではなく「女神」なのかもしれない。
まとめ
天使=神の使い。≠神
悪魔=堕天使。神に反逆した天使
キューピッドはギリシャ神話の神。≠天使
「白衣の天使」は救いをもたらすものとしての天使
「赤ちゃん」や「橋本環奈」は無垢なものとしての天使
「菜々緒」は天使というより「女神」
私は誰かの天使ではなく女神でありたい
おわりに
このnoteは、先日参加してきたトークイベント『天使だったなら』にインスパイアされて書いたものだ。
とても楽しい時間でした。最後に、会場で撮った写真と、出演者が配信しているPodcast番組のリンクを貼って終わりにします。
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