1/4
完全に、クオーターライフ・クライシスに陥っている。
「クオーターライフ・クライシス」とは、"20代後半から30代、つまり人生の4分の1が過ぎた時に訪れる、人生の焦りや幸福感の低迷"を指すらしい。
原因は人それぞれだと思うけれど、キャリアへの悩みやライフステージの変化が主だろう。
まだ何者かになるかが不明瞭だった20代前半に比べると、既に自分の道は決まってしまったような、これ以上の飛躍や発展は望めないような窮屈感。
もっと早いうちにやっておけば良かったかもしれないこと達が次々に頭を巡る。それも、ベンチャー企業でのインターンとか、留学とか、社会問題解決系サークルへの参加とか、単なる小売業よりも有益な場所でのバイトとか(有益ってなんだ)当時の自分が考えもしていなかった突拍子もないことばかりが今更思い浮かんでは消えていく。
その突拍子もないことを経験し、今とは全く違う道を選んだ架空の自分を想像する。架空なので、その姿は限りなくキラキラしている。やりがいのある仕事、頼りがいがあり時には冗談も言い合える仕事仲間、淀みなくすらすらと会話する社会性の高い自分(もちろん年収も高い)。
このように後ろを振り返りほの暗い妄想をしたかと思うと、次は横を見る。
横には、自分と年が変わらないのに天職を見つけて活躍する人、確固たる理想を持って突き進む人、自分の何倍もお金を稼ぐ人がごまんと居る。かっこいい!
果ては、同年代の芸能人にも憧れ始める。この間の3連休はさっしーとフワちゃんのyoutubeをひたすら見ていました。自分に合う仕事を見つけて、仕事仲間とも仲が良くて、それでたくさんお金を稼いで、羨ましい!
さっしーになって表参道で値段を気にせずハイブランドの洋服を買いたい。フワちゃんになって、実は常識があるとかコメント力が半端ないとか褒められたい。共演者と楽しく仕事をして、あー今日も楽しかったと思いながら眠りたい。
視点が後ろから横へと動き、最後は前方である。後ろと横は、不自然なほど鮮やかなハリボテの理想でギラギラしていたのに、前方は彩度も明度も急激に下がり、解像度も最悪。急に道が途絶えて、足が竦むような感覚に陥る。
前方に描くべきは、現在の等身大の自分から繋がる姿なのだが、それをどうにも描くことができない。どうなりたいかが自分でもよくわからない。ぼんやりと憧れがあったとしても、自分にできるのかがわからない。
過去に対しては"たられば"で盛大に飾り立てるくせに、未来に対しては限りなく地味で臆病だ。激ダサである。今もこの文章を書きながら、自分のダサさに恐れおののいている。そもそも、今でちょうど1000文字ぐらいだが、こんな泥水のような文章がこの世に存在して良いのだろうかとちょっと心配になっている。もはやクオーターライフ・クライシスとかかっこいいことを言っている場合ではなく、未だに中二病から抜け出せていないだけなのではないか。
砂利をひたすら食べ続けているような絶望に陥っている原因は、他でもない自分にある。素っ頓狂な理想像ばかりを掲げて、そこに辿り着けない自分を、自分の手によって痛めつけているのかなと思う。
いま持っている幸せで心を満たせていない実感はある。愛情をくれる家族がいること、そしてその家族が皆元気でいること、長い間仲良くしてくれる友達がいることは何よりの幸せである。そしてしっちゃかめっちゃかでも、久しぶりにこのようにまとまった文章を書いていることもまあまあ幸せだ。
いま手元にないものを得ようとすることも良いことだけれど、それにはエネルギーが要る。まずは不健康な妄想を止めて、現状を大切にして、そこからエネルギーを補給するところからですね。
さっしーとかフワちゃんも良いけど、等身大の自分から理想像を描けるようになりたい(切実)
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?