半月ほどの考え事
3月に入ってからというもの、自分の気持ちがめまぐるしく動いており、考えているだけではどうにもならないことばかりが次々と心に浮かんでは消え、を繰り返していた。
一貫した文章のひとつも書き上げることができず、思考がぐるぐると巡っては結局同じ場所に戻ってくる様子をじっと眺めていた。
もともと、考えすぎる質だ。執着とも言うべきまでの不安を抱きやすい。
そのくせ、自分のことを言葉にするのが恐ろしく苦手だ。
でも、この数週間は珍しく随分周りの人に話すことができたと思う。
単純に、大学や高校の友人に会う機会が多かったのだけれど。
会社の先輩にも、話せる相手がひとりできた。
あとは、半ば吹っ切れた気持ちで病院に頼ることもした。
自分の抱えていることを話す時、心が弱いなと思われないか心配で勇気がいるものですが、やはり誰かに聞いてもらうのは必要だと思った。
それに、どんな悩みでも心が弱いだけなんてことはない、と最近は思うようにしている。実際の状況は当事者にしかわからないものだし。
みんな、質問や共感や意見を交えつつ、あくまでわたし主体で話を展開してくれてとてもありがたかった。
話したことで少し考えが整理できたものの、まだまだ頭の中は混沌としている。
でもどれも突き詰めていくと至極単純な問いかけに辿り着く気がする。
今わたしが悩んでいるのは、自分の価値観についてだ。
まず、今の居場所が自分の価値観に当てはまっていないことにじわじわと気付いてきた。
ひどく叱責されることがなくても、残業が無くても、休みがちゃんと取れても、自分の1年後の姿が思い描けず、半年間に一度も社会との繋がりを感じられないまま働くことが辛くなってきた。
こんな風に、辛くなった原因については少しずつ分析できてきた。
・数年後になりたい姿を思い描けること
・社会とのつながりを感じられること
この2つが、自分の価値観の一部なのだと思う。
このままでは非常に抽象的なので、ここを更に掘り下げていく必要がある。
掘り下げる作業は慎重にやらなければいけない。
心の中には本音の自分と、ちょっと見栄をはりたい理想の自分がいる。
私は自分について分析するとき、つい理想の自分に寄せてしまう癖がある。そっちの方が明確な像があり、言葉にするのも楽で綺麗だからだと思う。
思えば新卒の就活の時も、楽したいがために理想の自分を築き上げて、結局自分のことがよくわからなくなってしまっていた。
だから今度は慎重に、理想と本音を混同せず、等身大の価値観をくみ取ってやらねばと思う。
どうすれば良いのか迷うけれど、ひとつ思うことは、やはり実際に自分が経験したことを振り返ることかな。
仕事の中で、嬉しかったこと、何をしている時が楽しいかを、些細なことでもリストアップしていこうかしら。
今ぱっと思いつくことは、嬉しいのは発表がわかりやすいと褒めてもらった時。楽しいのは後輩に説明している時や、どうすればわかりやすいかなあとメールの説明文を考えている時。(本業の実験が関係なさすぎる)
業務の中では本当に細やかなことですが、これだけでも共通点はある感じがする。でも、理系職の意味が無いですね。職種も、知らないものだらけなので色々考えたいものです。
こんな風に、苦手な自己分析をじわじわ進めていかねばと思っています。
景気も下がっており、何でよりによって今なのだと思うけれど、動かなくても後悔はするだろうし。
心中穏やかでは無いけれど、それでも春の気配には少し心がゆるみます。
夜風の生ぬるさ、においの濃さにほっとする。
苦手だけど、いい季節だとも思います。
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