嵐ファンになってからの13年間②

そして、これが無かったら嵐ファンになってなかったかもしれないなという番組が始まる。「ウタワラ」である。KAT-TUNのコーナーがあったり、MCとして登場したりするためほぼ毎週見ていたかと思う。

この番組のMCこそが松潤だった。当時の認識としては、ごくせん1の再放送で見たな~ぐらいのものだったと思う。

そして2006年7月30日、ついに嵐がゲストとして登場する。

この5人が嵐なのか!と思った。

母親のマイナス表現で覆われていたイメージが一気に晴れた。一瞬でファンになったわけでは無いけど、純粋に皆爽やかで良い人そうだと思った。(昭和時代の設定の映画を撮影中だったため、そういう雰囲気になっていたのもある)

にのと翔くんは何となく知っていたが、大野くんと相葉ちゃんはこの日初めて知った。トークの終わりに、松潤に代わって大野くんがあややと一緒に曲振りをしていたことを強烈に覚えている。この人、さっきまで後ろでへらへらぼんやりしていたのに最後の一撃でこんな爆笑を…!と衝撃であった。大野くんを好きになるのはもう暫く先だけど、こういう感想を抱くということはどのみち好きになるのは必然だったなと思う。

この時歌っていたのはアオゾラペダル、a Day in Our Life、I want somebodyだった。新曲としてアオゾラペダル、C&R曲としてa Day in Our Life、ニューアルバム曲としてI want somebodyという構成だけどなかなか攻めた選曲だよなと思う。I want somebodyの最後に雨を模した水が大量に降り注いでおり、えっほんとに濡れるのとびっくりしたものである。突っ込みどころはありつつも、I want somebodyがめっちゃかっこよかった。

この時にすぐファンになると決めたわけではないが、歌番組を見たりと徐々に嵐が気になるようになってくる。

嵐ファンになる決定打があったのか、どういう経緯があったのか記憶が曖昧だけれど、当時つけていた嵐日記のようなものを見ると、どうも2006年10月に嵐ファンになったみたい。

7月のウタワラから3か月間、悶々と葛藤が続いたんだと思う。「ファンになった」を公言するのは、当時も今も、私にとってはとてもハードルが高い。ファンになった以上、リリースしてきた曲を全部覚えなければならない、コンサートの作法も習得しなければならない、どのような道を歩んできたのかを知らなければならない。何より1番難しいことは、「この情熱がいつまで続くのか」問題だった。ファンだと言った以上、すぐに飽きたとか言いたくないのである。なので、「この情熱は続きそうか」を3ヶ月間迷っていた気がする。でもそんな憂鬱を吹き飛ばすほど好きになってしまったのだろう。これ以上はもう我慢ならん、もっと嵐に踏み込みたいという風に。

というわけで2006年10月、これまでの嵐7年分の曲を全部覚える、コンサートの作法も覚える、どんな道を歩んできたのかを知る、そしてずっと好きでいられる。この想いを胸に、嵐のファンになった。

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