僕がオードリー若林さんにもらったもの

 ラジオを聞き始めてから、5年経ちます。
 東京ドームライブから1ヶ月経ちますが、あの日もらった熱い思いをつづっておきたくて、つらつらと文章を書きます。
 オードリーのANNと出会ってから、若林さんのことを番組からエッセイからその他ユニット等追いかけるようになって5年経つということになります。その間若林さんから、僕が勝手に感じ取ったことを書きます。
 
 若林さんの好きなところは、等身大で語るところです。
 うまくいかないこと、悩んでること、腹立つこと、納得いかないこと、そして楽しいこと、好きなことを、ラジオや番組で喋ってくれるのが好きです。
 あと痛い女ファンみたいですが、見た目が好きです。これは、若林さんがタイプじゃない人たちも同感だと思いますが、東京ドームに立って漫才をやる時の若林さんは世界一かっこよかったです。SADAさんでおろしたスーツ似合いすぎてました。

 周りを見て一歩引くことができるのが好きです。出しゃばらないことを選べる、人の迷惑にならないように動ける配慮ができるところが好きです。そして、それができてしまう人特有の悩みも共感できるから好きです。
 人を強めにいじることを当たり前のように平気ではやらないところが好きです。バラエティだしお笑いなので、そういうことが必要な場面も多々あるとは思うけれど、意味と理由がないと多分やってないところが好きです。人を強めに上からいじることができる人の方が強いし、たぶん分かりやすいし、それはそれで難しいのだと思うけど、人の気持ちをある程度切り捨てて良い分、単純だと思います。でも、それを選ばない方法でずっと面白いから、尊敬します。

 M-1を一人で最後まであきらめなかったところが好きです。孤独だったろうし、絶望的に感じるときもあったであろう中で、一人でネタを磨き続けたところがかっこいいと思います。
 昔からの仲間を大事にするところが好きです。高校の友達とか、同期の関東の芸人とか、キサラの頃お世話になった人達に、今でも愛があるところが好きです。

 クレイジーなところ、ぶっ飛んでるところが好きです。春日さんといるときの若林さんもちろんそうですが、山里さんといるときの若林さんはもっとクレイジーだと思います。みなとみらいで行われたさよならたりない二人は、最高でした。Huluで後に配信されたものを何度も見返して、躍動する若林さんとそれに120%で返す山里さんにしびれたのを思い出します。


 お笑いの分析がすごいところが好きです。若林さんは芸人になってからM-1で売れるまで、バラエティや漫才を見て分析し、試行錯誤して芸を磨いていたというエピソードは、当時周りにいた方たちが口をそろえ言うことです。お笑いにストイックで、それをあまり相方を褒めることのない春日さんも仰っていたことが印象的でした。
 お笑いやバラエティの構造を見通す力に長けているところがかっこいいです。若林さんは語るつもりはないと思いますが、ラジオのトーク中などでたまに聞かせてもらえる、お笑い論的なものが、僕はすごく好きです。春日さんが好きな芸人ランキングのボケ部門でトップ10にランクインした時の「春日はボケてない」論争は個人的に好きな回です。その時もにじみ出ていたのですが、若林さんの中での”ボケとは何か”とか、”フリとは何か”、”お笑いの構造”などの、若林さんが長年培ってきたお笑いに対する哲学の深さが、ラジオの何気ない会話の中でたまに透けて見える瞬間があります。それが、僕にはたまらないです。プロ中のプロだなと改めて感じ、尊敬します。

 そんなにすごい人だけど、多分俺たちみたいな人のことを単純に蔑んで笑わないところも好きです。自分たちのような、社会に不適合な部分を抱えている人たちを、正論で潰すのは簡単で正しいことです。でも、多分それを若林さんはしないし、そして春日さんもしないところが素敵だと思います。(人への配慮や礼儀にかけることに関しては若林さんは厳しいかもしれない)
 滑稽でみっともない人を、疎外しない。誰にでもできることではないです。いつか自分もそうなれるような大きな人になりたいと思います。
 わかると共感する力を持ちながら、それを言い訳にして前に進まない人間でないところも好きです。弱い人に共感したり寄り添えたりする力を持つ人は、関係ないと流すことが得意じゃないから心が疲れやすかったり、弱者を弱者と切り捨てることができない感性を逆手にとって、自分が努力しなくてもいい言い訳をついつい作ってしまったりする傾向があると自分は思います。(そんなことないのかもしれない)それは、何を隠そう自分がそういう傾向を持った人間だからです。でも、若林さんはそれをしません。仕事で求めらていることを常に80点以上で返し続ける、エリートです。でもそれを可能にする能力の高さと、他人に共感する感性や繊細さを併せ持つのは、並大抵の難しさではないです。だからこそ、それができる若林さんが大好きだし、憧れです。(同じ理由で星野源さんが好きだったりします)

 多分俺たちリスナーのことをめちゃめちゃ考えてくれてることが大好きです。背番号3を僕たちリトルトゥースにくれたこと。今でも感謝しています。(若林さんの案だという証拠はないのですが、そうだと思ってしまうくらい普段から若林さんからリスナーへのやさしさを感じるからです。)
 また、「オードリーの2人とリスナーの2対1の構造であることは東京ドームでも変わらない」といった趣旨のことを何度か仰っていましたが、そう言って下さるのは若林さんが僕たちリスナーを真正面から見てくれているからだと思います。春日さんと若林さんの二人がいて、付け焼刃の方々がいて終わりではく、僕たちリスナーを本気で考えてくれてるから出てくる言葉だと僕は思うのです。その優しさが、涙が出るほどうれしかったです。


 以前LIGHTHOUSEで、星野さんが、変わっていくアーティストに”変わってしまったな”と不満を持つ人は「その人のことが好きなんじゃなくて、その人のことを好きな自分が好きなんじゃないか」という話をしていたのを思い出します。僕もそういうタイプだと思っていました。もしかしたら、東京ドームのライブをライブビューイングで見に行くまで、事実そうだったのかもしれません。毎週ラジオを聞いたわけではありません。結婚してからの若林さんのラジオの内容が、以前と変わったなと思い聞く回数が減ったこともあります。家庭をもって幸せになったことを変わったと嘆いたわけではありませんでした。「自分は独身だった若林さんが好きだった」という人の感覚はよくわからないです。でも、若林さんが言うところの「若林が好きなんじゃなくて、独身が好き」な人たちに対しての思いを、若林さんがラジオの中で吐露しているとき、自分は若林さんが嫌がっていた対象のタイプの人間ではないにもかかわらず、なんだか疎外された気分に勝手になってしまいました。結局僕も、「そういうのが見たいんじゃない」とわめく痛いファンの一人だったみたいです。その変化についていけず、ラジオからも若林さんが出るテレビからも、離れてしまっていた時期があります。

 しかし、ドームでの若林さんを見て、その時確信したのです。 ”これを聞いてる、見ている自分” が好きなんじゃなくて、本当に ”その人自身” が好きなんだと思えること。僕は若林さんが好きだし、憧れだし、生きてく上で人間としてこうなりたいなという目標です。この事実に気づくことができた自分は今、幸せです。


 おれに「熱さ」と「肯定をすることの大切さ」を教えてくれたのは、紛れもなく若林さんです。
  冷笑すると言ったら失礼かもしれませんが、その様なお笑い、人間から変わっていこうともがき前進しているさまを、僕たちは見せてもらったような気がしています。その姿を見て、僕も変わりたいと、体の奥底から思えたこと。そんな前向きな経験は今までの人生で一度もなかったから、それをくれた若林さんに深く感謝しています。
 日本語ラップ、プロレス、純文学はどれも僕はそんなに興味はないけれど、オードリーを、そして若林さんを見て、自分は熱いものが好きだって再確認するのです。
 超ネガティブな人でも努力して人を肯定したり、愛したりすることを諦めない姿勢を示し続けてくれた若林さんを見て、僕もそうなりたいと思い、少しずつできるようになりました。僕の無味乾燥な人生を、血の通ったものにしてくれたのは若林さんです。それを再認識できたことが幸せです。

 大学受験を失敗しての浪人と、コロナ禍で友達が一人もいなかった自分の生活を彩り支えてくれたオードリーお二人に感謝し、そして生き方を教えてくれた(勝手に僕が教わった)若林さんへのお礼として、この文章を書きました。

 これからも追いかけ続けます。


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