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【齋藤精一氏 寄稿】 奈良 | 未知の可能性

本稿は、#ならをつなぐプロジェクト の参考記事として、パノラマティクス(旧:ライゾマティクス・アーキテクチャー) 主宰 齋藤精一氏より寄稿いただいた文章を奈良クラブ公式noteアカウントで公開したものです。

私にとって奈良という場所は、10年ほど前まで自分にとってほとんど関係のない場所だった。奈良といえば、歴史の授業で知る平城京の事や中学時代に修学旅行で行った思い出ぐらいだった。年を重ね結婚をし、妻が奈良出身ということ、その後一人息子の出産も奈良で行い、結果として2010年に生まれた私の息子の名前は「せんと」と名付けられた。ちょうど平城京遷都1300年の年であり、言わずとしれた「せんとくん」が頭の片隅に残っていた我々夫婦に取っては奈良のルーツを意識しつつ付けられた良い名前だと思っている。考えてみれば私と奈良の関係はそこから深くなることになる。
 京都の大学で非常勤教師を務める私は、京都の観光の成功がいつも気になっていた。特にインバウンドに関しては、多くの人が京都を愛し、それだけの世界中からのゲストを受け入れる様々なコンテンツや施設を創り、新型コロナで落ち込む前までは多くの人がそれを成功事例として日本中の観光地が羨んでいたと思う。


「奈良はなぜだめなのか?」

妻の実家に帰ると決まって訪れる当麻寺・春日大社などの神社仏閣や二上山や吉野などの名所がいくつもある。歴史的にも深く、教科書で学んだだけのものが多くない観光客に向けて公開されている。モノやコトを創る仕事をやっている私にとってはどうにかしたほうが良いのか?といつも考えていた。もっと多くの人に奈良を知ってもらい、多くの人に訪れてもらう場所をもっとPRし、人々をもっと滞在してもらえる宿泊施設や文化施設をもっと作ったほうが良いと安易に考えていた。リニアの停車駅として奈良も候補に入った時は嬉しかったと同時に、どこか違和感も感じていた。

「今の奈良はそれでも良いのではないか?」

非常勤講師を務める京都精華大学デザイン学科の学生と共に、京都の観光の現状を数年前にリサーチしたことがある。京都はインバウンド観光としては、国が上方修正を続ける観光客の増加と共に成長し続けているが、驚くべきことに国内の観光客は調べた限り減り続けていた。多くの人は昔の京都の思い出が、どこに行っても多くの観光客で列ができる場所へは足が遠くなっていた。そのときに思ったのが奈良は今のままでも良いのではないか?ということ。それから私の考え方は大きく変わり、「ちょうどいい奈良」という言葉をいつも頭に浮かべながら奈良を見ていた。「ちょうどいい」というのは、今の生態系を大きく壊さず、今の奈良の雰囲気を大きく壊さず、世界的に貴重なものも近く感じ続ける環境の事で、多くのことを変えず、おごらず、時制に流されない強さを持つまちを想像していた。そんな中、世界を変え、今まで積み上げてきた方程式をすべて覆すことが起きた。

「世界を襲った新型コロナウィルス」

新型コロナウィルスによってインバウンドはほぼゼロになり、観光はもちろんのこと様々な産業が落ち込んだ。特にインバウンドに頼ってきたところへの打撃は多く、結果として国内需要が高かった日本に取ってはGO TOキャンペーンによって延命できた場所もあるものの、いくつもの旅館や観光地で苦しい状況が続いた。そんな最中、奈良つながりで知り合った奈良県庁職員の福野さんから連絡をもらった。

「齋藤さん 奈良・奥大和の観光をどうにかして元気にすることはできないか?」

吉野は緊急事態宣言が出る頃には満開の桜が咲き、普段であれば多くの観光客が訪れる場所が様々な自粛によって観光は壊滅的に落ち込んでいた。私の中で以前から思っていた「ちょうどいい奈良」を急遽形にする機会になったわけでが、もう一度奈良という場所を考え直す良いきっかけになった。福野さんをはじめ、様々な人に奈良の事、紀伊半島のこと、林業の状況やその他いろいろなことを聞いた。もちろんその中に奈良クラブの話も入っていた。私が企画をする時は頭の中に様々な課題を”点”として泳がして、それが数日経つと勝手に線に繋がっていくのを紡いで一つの企画にまとめていくのだが、その企画は比較的すぐに出てきた。

「山を歩く芸術祭をやろう」

新型コロナが我々の生活を変えると、人々は自宅にいることが多くなり身の回りの意識の解像度が結果として上がった。人は自分の近所を運動がてら歩き、今まで他に気を取られてなかなか出会うことがなかった様々なものに出会った。僕自身も神奈川の自宅の周りを一人でときに家族と歩き、コロナ前までは出会うことのなかったハイキングコースや神社、公園、パン屋さんなど様々な気付きがあった。その歩くという行為と、同じことを繰り返すメディアからの遮断もあり、自分のこと(ミクロ)や世界のこと(マクロ)の両方を考えることになった。SNSでは自分の興味のある本の紹介のリレーが回ってきて、多くの人が哲学的な問に対する書物を紹介していた印象があるのは僕だけでは無いと思う。

「哲学の時代に入った」

時代が高速に進むと必ず問題が起こる、それは公害の様なものもそうだし、戦争の様な人の命をも危ぶむものでもある。新型コロナもそれと同じ様に我々に人間という存在、環境の存在、言葉やメディアの存在などもう一度考えさせる機会を強制的に与えた。哲学の時代に入ることは、今自分たちが生きているコトをもう一度考えることでもあり、様々な存在が自分にとってどんな意味を及ぼすのかを再度考えさせられる。その様な時代だからこそ作った芸術祭が2020年10月に奈良の南部・東部地域:奥大和で行った芸術祭である。

「Okuyamato MindTrailの実施」

企画が始まった7月から実施の10月までの間何度か奈良を実際に訪れ、視察をし、アーティストを決めてまた視察をし、地元の方々に様々なお話を聞き、また視察をし、という普段芸術祭は2年程度かけて準備を行うのだが、3ヶ月で仕上げる苦しさを感じると共に、どこか自分の中で今まで温めてきた企画を大変な状況だったが実施できる楽しさを味わっていた。たくさんのアーティストの努力とモチベーション、地元の方々の多くの協力、例年よりも美しく色づいた紅葉、GO TOキャンペーンや奈良県内の観光助成によって結果としてMindTrailは多くの人が訪れる芸術祭となった。この芸術祭は多くの屋外芸術祭の様に離れた作品を車で見に行くのではなく、吉野・曽爾・天川の三箇所にまとまって設置された作品群を一箇所5時間程度でトレイルしながら見る芸術祭に仕上げたので、それだけ長い時間をかけて歩いて回ってもらうのは無理じゃないか?怪我等の安全性は大丈夫なのか?等様々な懸念が出たにもかかわらず、多くの人は作品をアプリの地図で探し、最後には壊されることなく残っていた奇跡の自然をも作品に見えてくる錯覚を起こす。様々な人が自然の尊さやアートが目的ではなく、アートはレンズとして何かを気づかせる媒体と感じる人が多かったのは、企画をした私自身も驚いたほどだった。

「奈良にはまだまだ未知の可能性がある」

私の人生の中でも大きな仕事となったMindTrailを終えた今も思い続けているのが、奈良にはまだまだ可能性があることだ。結果として観光に依存しすぎなかったからこそ残っているものも多くあり、今様々なところで次の経済のモデルとして言われている「サーキュラー・エコノミー|循環型経済」も奈良には昔から存在する。例えば十津川村や果無(はてなし) は昔から水源を守り、必要なものを必要な分だけ創り、近所で支え合って生活し続けていると聞く。実際に今の時代になって訪れると日本が昔から大切にしてきた価値観、自然を崇める心、独自の哲学等多くの気づきを与えてくれる。MindTrailを行って気づいたこととして、奈良に住む人々が近くにこんな素晴らしい場所があったことに驚くケースが多かった。よそ者だからこそ気づけたのかもしれないが、もしかしたら奈良の価値を一番近くにいる奈良県民・近県の方々が気づいてなかったのかもしれない。マイクロツーリズム等という言葉が出てきた今、もう一度奈良の価値を広域だけではなく、近い人にも知ってもらう機会が必要だと感じたし、今それを求めている人が多いと感じた。

「文化を中心としてその周りにサークルを創るという考え方」

私が今思っているのは、これからは”サーキュラーエコノミー”の時代になるべきだということで、その考え方は文化が中心となり、その周りに自律的な経済圏を創るとともに、その文化を他の文化圏と交換しながら大きな経済を動かすということ。ここで言う文化とは、その場所で取れる農作物でもあり、昔からある山でもあり、コーヒーを上手に入れる喫茶店であり、話のうまい人でもある。もちろんそれが奈良クラブの様なスポーツチームでもある。その周りにあるサークルは、エネルギーを必要な分だけ創りサークル内で共有することでもあり、お祭りや産業等を一緒に作っていくエリアでもある。もちろんファンでもある。この考え方は以前から持っていたものの、特に奈良と関わるようになって具体的にイメージが自分の中で熟成され、自分なりの実行フェーズに入ろうと思っている。日本では近年あまり文化を重視してこなかったと思うが、大阪関西万博や国のプロジェクトに関わる自身としては今大きな文化概念の再構築に入っていると強く感じる。それは古いものを残すということだけではなく、新しく文化の種を創ることへの大きな期待と重要性の議論が数多く行われていると特に新型コロナが発生して以来感じることが多い。

「奈良クラブというスポーツチームは文化を創る」

仕事でも様々なスポーツ競技やチームを見てきたが、スポーツチームはまちを一つにする力がある。また拠点となる練習場やスタジアムは海外で有事に避難所になることを想定されて創られるなど、地域の拠点としても機能するように設計されているという。奈良クラブはまだまだこれからたくさんの発展ができると思います。今回のこのnoteの#ならをつなぐプロジェクトもそうですが、もっとたくさんの人を巻き込んでこの大変な時代を「結果として文化になる」ことを少し意識して一緒に奈良をもっと近い存在にするべく一緒にできればと思います。僕にとって奈良は、関係のない場所から積極的に関わっていきたい場所になりました。それはもはや故郷という存在を越境してしまっている場所です。誰も解くことができない問題があるからこそ、今まで人生で得た様々な知恵や出会ってきた仲間の力を使って誰よりも先に解いてやろうと思ってます。笑 奈良は本当に面白い。


齋藤 精一
パノラマティクス(旧:ライゾマティクス・アーキテクチャー) 主宰
1975年 神奈川県生まれ、東京理科大学理工学部建築学科卒。
建築デザインをコロンビア大学建築学科(MSAAD)で学び、2000年からニューヨークで活動を開始。Omnicom Group傘下のArnell Groupにてクリエイティブ職に携わり、2003年の越後妻有アートトリエンナーレでのアーティスト選出を機に帰国。フリーランスのクリエイターとして活躍後、2006年株式会社ライゾマティクス設立(現:株式会社アブストラクトエンジン)
、2016年よりRhizomatiks Architectureを主宰。2020年組織変更によりRhizomatiks Architectureは、Panoramatiksと改め、俯瞰的な視点でこれまで繋がらなかった領域を横断し組織や人を繋ぎ、仕組みづくりから考えつくるチームを立ち上げる。現在では行政や企業などの企画や実装アドバイザーも数多く行う。2018-2020年グッドデザイン賞審査委員副委員長。2020年ドバイ万博 日本館クリエイティブ・アドバイザー。2025年大阪・関西万博People’s Living Labクリエイター。

パノラマティクス公式サイト


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