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就職初日、盗んだ金でそば6杯たいらげた娘

 古新聞を眺めていましたら、「大食娘」というたった3文字の見出しが目に入りました。ギャル曽根さんのことではありません。明治18年(1885年)12月12日付の読売新聞です。

 大食娘の名前はお新、年齢は18歳です。東京下町で古着商を営む家に生まれたお新もお年頃、「最早何処へか縁付くべき年頃」なれど、「家が貧窮につき少しの間世間を見習いかたがた何処へか奉公をせん」という仕儀に相成り、同じ下町の某家で家政婦として働き始めることになります。

電光石火の犯行

 お新が奉公に出た初日、それも到着後間もなくのことでした。某家では、「家内が一寸台所へ行った間に火鉢の抽斗(ひきだし)へ入れておいた札20銭」が紛失するという事件が発生します。

 某家ではお新を疑い、口入をした受宿を通じてお新の父親から事情聴取したところ、父親は「御覧の通り私共は貧窮な生計はして居れど、紙一枚でも人さまの物を取るような娘は持ちません」とたいそう立腹し、「左様(そう)云ふなら其筋に届けてお調(しらべ)を」とタンカを切る喧嘩沙汰に進展してしまいます。

警察が介入、そしてお新の身は

 のっぴきならない状況となったのでしょう。警察を呼び10銭札2枚の行方について取り調べが始まったわけですが、ちょうどその頃、お新の方でも事態が動いていました。記事はこう報じています。

 お新は「何処に有ったか10銭札を2枚持って下谷広小路の蕎麦屋へ入り、盛3つと天麩羅そばを3つ食った上、其処を立ち出で塩せんべいと煎り豆を買ひ求めて袂に所持」しているところを、「小石川警察署の手にて拘引」されていたのです。

 よほど行状が不審だったのでしょう。18歳の娘が、もりそばと天ぷらそばを3つずつ平らげて、それでも足りずに塩せんべいと煎り豆を買って袂に忍ばせていたわけですから、もし様子を見ていた人がいたなら驚いたに違いありません。

お新のその後は明治のギャル曽根か

 記事にはお新がすらりとしたモデル体型だったとも、力士ばりの堂々たる体躯だったとも書かれていませんが、その食べっぷりについては「頗る大食者にて信濃から出て来た米搗(こめつき)も及ばぬ程」と表現されています。「信濃から出て来た米搗」なんて、これまで見かけたことのない面白いたとえです。正直、ピンとは来ませんが。

 さて、気になるのはお新のその後です。記事は小石川署に拘引されたところで終わってしまいます。

 奉公先から20銭を盗んでそば6杯を一気に食べた、という話ですから、新聞も続報はしていないでしょう。

 なのでここからは完全な妄想になりますが、新聞社か出版社あたりで企画した大食い大会に出場、優勝して人気者となり、後に「明治のギャル曽根」と呼ばれるタレントになっていてくれたらいいな、と思います。

 まあ、ないでしょうね。現代だったら大食いYouTuberとか、活躍の舞台もあったかもしれません。残念。では、また次回。

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