見出し画像

平田コーチとの出会い

いよいよ来週に迫った年代別世界選手権(ロンドンマラソン)
奈良から世界へ
世界に挑戦する平田コーチ。
彼との出会いについて、少し書いてみようと思います。

最初の出会い?

平田くんに初めて出会ったのは、おそらく2000年の9月。
当時開催されていた王寺町24時間リレーマラソンの1区でした。
私は、職場の先輩に助っ人を頼まれて、天理走友会(現在のNRF)の選手として出場することになりました。
私は、大卒1年目で、そこそこスピードには自信があったので、最初だけでも1区区間賞?で走ろうとスタートラインに並んだ。
そして、スタート。一区間1.5km。先頭に立ったものの、1人競りかけて来た選手がいた。それが平田くんでした。
結局、最後競り負けた?
あっ負けた。それが最初の印象でした。

数年の空白

私は、2001年3月末で脱サラ。
しばらく、資格試験の勉強で走るのはやめた。
2005年ごろからランニングを再開。
そして2007年に平田くんと再会する。
王寺町24時間リレーマラソンの1区。
私はNRFの選手として出場。
前年度優勝チームメンバーに入れてもらう。
チーム監督から、24時間6名で走らないといけないので、トバスナ‼️と指令が。平田くんは、ダントツの1位で繋ぐ。私は区間5位ぐらいで安全運転。
8時間経過ぐらいで、私たちのチームは1位に立っていた。
逆に平田くんのチームは、実質1人で何度も走ってるよう状態なので、夜中にはバテバテになっていた。
偶然一緒のタイミングで走った際に、会話したのが最初だろう。

龍神駅伝(関西実業団駅伝)に挑戦

当時、私がNRFの広報担当をしていた関係で、県内の強力な市民ランナーを集めて、合同練習会などを企画していた。
そこで、2009年ごろに、「関西実業団駅伝って、寄せ集めのオープン出場できるらしい」って話題が出た。
真っ先に食いついたのが、私と平田くんでした。
2010年 遷都1300年記念で 奈良県勢として初めて出場しよう‼️
と話し合い、そこから1年かけて選手を集めて出場した。
でも、初出場の時、平田くんは仕事で出場できなかったという、関西人らしいオチをつけてくれたのは。。。面白い。

龍神で得た経験

奈良の市民ランナーは、龍神に挑戦したことで、一気に世界が変わった。テレビで見ていた選手と同じ舞台で走れる。緊張感が違う。
「生活懸けて走る実業団選手」「この1本失敗しただけでクビになるかもしれないという緊張感」
これを肌に感じた。
少なくとも私は、これをきっかけに「実業団の舞台で戦いたい」と思った。
そして、この時に平田くんとこういう会話をしたのを鮮明に覚えている。平田くんが「俺は走りで日本一になる」と言い、私が「マネージャーとして日本一になる」と言い、「じゃあ、2人で組めば、日本一のチームが作れるんじゃない?」と。それが、数年後、NARA-Xアスリーツというチームで目指すことになるとは、当時は、思ってもいませんでした。

NARA-X創部

2017年10月1日 NARA-Xトップチームは創部した。
創部当時は、総監督として伊藤宇三美さん(元奈良産業大学駅伝部監督)、コーチとして私がいました。
2020年にNARA-Xアスリーツとして、トップチーム部門のみを分社化して、私が監督に就任。
そのタイミングで、平田くんにコーチ就任を打診しました。
そして2020年4月 平田プレイングコーチが誕生した。

ロンドンマラソン挑戦

2021年度、平田コーチは年代別世界ランキング1位になった。
そして、その世界選手権が10月のロンドンマラソンで行われるということが2022年2月ごろ判明した。
なんとしても彼には挑戦して欲しかった。どんな手を使ってもスタートラインに立たせたかった。
問題は遠征資金。どうやって準備するか?
NARA-Xの資金的には捻出が難しい。
クラウドファンディング は利用しないで、遠征スポンサーという形で募集をすることにしました。
お陰様で、遠征費のほとんどを賄える資金のご提供を得ることができました。本当にありがとうございました。
数年前の戯言?日本一のチームができるんじゃない?
その一歩として、コーチ自らが、奈良から世界一に挑戦する。
まだ私は日本一のマネージャーではありませんが、間違いなく平田コーチのこの挑戦が、日本一のチームを作るための道筋になることは間違いない。平田コーチに感謝しかない。NARA-Xアスリーツに来てくれてありがとう。

奈良から世界へ

ロンドンで思いっきり暴れて来てくれ‼️

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?