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咲き切ってこその、美しさ。

何歳まで生きるかわからないけれど
「人生の後半に入った」と意識した日から
10年が過ぎた

そのときから
人生においても仕事においても
はっきりと折り返しを意識して
生きてきた

人生の後半をどう生きるかを
その時に決めた



「人生100年」
全くピンとこない
自分にはそんなに生きるイメージがない
(結果として生きるかもしれないけれど)


6つ歳の離れた姉に
「きっとお姉さんの方が長生きするよ」と言うと
「そうかもしれないね」と姉も返す

どれくらい長く人生を生きるか
人にはそれぞれのイメージがあるのだ



私はゆっくりと生まれてきて
足早にこの世を去るのかな〜
と自分のことを思う
(湿っぽい話でも何でもなく)


今となっては
10年前にあると思った後半の人生すらも
ただ一般的な想定にすぎなかった
と気づく



何歳まで生きるかはさておき

この人生に残された私の仕事は
夫を最後まで世話することと
娘が子どもを産むことになれば
手助けをすること

そしてもう一つ
自分自身の残りの人生を楽しむこと

私がよりよく生きることは
娘のためでもある
人生は楽しむ価値のあるものだってことを
知ってもらう


娘はどんな人生を送るのだろう
見届けたい
見守りたいという気持ちもある
(うん、長生きせんと)


世話になっている年配の女性から
「子どもは可愛いでしょう?自分の作品だものね」
と度々いわれる

失礼のないよう
「そうですね。可愛いです」と答えるが
娘を作品だと思ったことは一度もない

私は確かに娘を産んだけれど
娘は私のモノではない

生まれてきた娘はその瞬間から彼女自身であり
初めからずっと彼女自身を生きている


私はもうしばらく生き
生きているうちは
何歳になっても新しいことに
挑戦しようと思う

ただ
「もうひと花咲かせよう」とか
「今から人生を成そう」とかいうのは
少し違う

花には時期というものがあり
私のその時期はもう過ぎた




娘や未来のある若い人達を
眩しくみる

まだほんの少し
解けはじめたばかりの蕾のよう
例えようもなく愛らしい

でも
花には咲き切ってこその
美しさがある

思う存分
自分を咲かせてほしい