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3.11の夜に寄せて


東日本大地震から11年。
日付は変わってしまったけれど、あれから11年経った私の、なんでもない日常の記録。

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私の故郷は青森県。三八上北に分類されるエリアに実家がある。
今は、仕事の都合で実家から遠く離れた四国に身を置いている。

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11年前、当時小学6年生。
転勤族だった私たち一家は、神奈川県に住んでいた。

14時46分。
帰りの会も終わった放課後だったけれど、卒業を間近に控えた私たちは、卒業記念品の制作のため教室に8割くらいのクラスメイトが残っていたと記憶している。それは私のクラスだけではなかったため、同級生はほとんど全員学校に残っていたと思う。

私の住んでいたところは、確か震度5強だったと思う。
突然、体験したことがないくらいの揺れを感じ、みんな慌てて机の下に潜った。ただひたすら、揺れが収まるのを待っていた。
物が壊れたり倒れたりということはなくて、意外と冷静だった記憶はある。
その後、親が迎えに来れる人は来ていたし、迎えに来れない人は集団下校で帰った。私は集団下校をした。
集団下校の待機中、男の先生が興奮しながら目を見開いて「避難訓練が現実になった」と言っていたことをすごく覚えている。その先生の様子を見て、只事じゃないんだなと思った。

家に帰ると母が玄関前で待っていてくれた。少し立ち話をしている間に、余震でもう一度揺れた。

家に入り状況確認のためテレビを着ける。
はっきり覚えてはいないけど、どのチャンネルを見ても地震や津波の状況を報じていた。津波の映像は、現実のものとなかなか信じることができなかった。

夜、とある避難所となった中学校の映像が映った。
母親の母校だった。
幸い、私の親族は全員無事だった。
でも、自分の馴染みのある地域でも津波や激しい揺れの被害が出ているのは、わからないながらに怖かった。どこか、他人事じゃないような気がした。

近い場所でも大きな被害が出ていた。
でも、その時の私はすごく遠くにいた。
近いのに、遠かった。

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震災の話になると、「東北は大変だったんじゃない?」と聞かれることがある。
でも、私は青森に当時いなかったから、被災者でなければ当事者でもなかった。

毎年復興の様子がメディアで取り上げられれば気になって見てしまうし、青森県内のものしか行けていないけれど、津波被害の出た場所を見に行ったこともある。
まだまだだとは言われるけれど、復興が進んでいくのはやっぱり東北の人間として嬉しいし、見ていて元気になる。

でも私は当事者ではない。
当事者になりたかったとかそういう話でもない。(なりたくて当事者になった人なんて誰もいない)
なんというか、強いて言えば劣等感のようなものなのかもしれない。

東北が少しでも前向きに日常に戻っていくのが嬉しいのに、当事者じゃない私は喜んではいけないのかもしれないと、心のどこかで感じていた。
辛く暗い道のりからでも立ち上がって、なんとか顔を上げて前を向いて歩いてきた東北の人たちの努力の結晶であるそれを、私が横取りしてはいけないと、そんな思いが心のどこかにたぶん、ある。

そんな思いがあるからか、なかなか復興支援に携わるだとか、元気になっていく東北の中で生きていくというイメージだったりとかが持てない。
携わりたい気持ちもあるし、東北に戻りたい気持ちもあるけれど、なんだかうまくできない。私はそこに入ってはいけないんじゃないかって、心のどこかで私が言う。
以前、地元ではない被災地域の方と移住相談という形でお話しをしたことがあったけど、うまく答えが出せなかったのは、きっとこれに由来する。
被災地域で活気に溢れて活動している同世代の人たちを見てなんとなくモヤモヤしてしまうのも、きっとこのせい。
もちろん、東北は好きである。

近くて遠かった私が、あの時から東北の人たちが培ってきたものを横取りしてはいけない、と思っていた。思っているんだと思う。

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2022年3月11日。

私はいつも通り仕事をこなした。
いつも通り出勤して、溜まっている仕事をこなした。

今日は3月11日。
その気持ちは、心の中にずっとあった。
2.3日前から、いや、もっと前から、もうすぐあの日か、と心の中にずっと滞在していた。

14時46分。
運良く仕事がたまたま落ち着いていた。(接客業なのでお客様相手中なら無理だった)
静かに、1人で黙祷を捧げた。

東北から遠く離れた私の住む街では、サイレンは鳴らなかった。

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今日、職場の人に「あれから11年ですね」と話を振ってもよかったのだろうけど、私からは話をしなかった。
特に話題にもあがらないまま、1日が終わった。

それが良いか悪いかという話がしたいのではない。
わざわざ話をしなかっただけで、一緒に働いていた人たちの心の中にも、あれから11年だという思いはあったのかもしれないし、なかったのかもしれない。

東北に縁のある私はこの日になるといろいろ考えたり思ったりするけど、ずっと四国ないし西日本に住んでいて、東北には縁すらなければ行ったこともない人たちが今日をどのように感じているのなは少し気になったけど、それはまた機会がもしあったら聞こうと思う。
特に理由はないけど、別に今日は聞かなくてもいいかなと思った。
ただ、それだけ。

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東日本大地震から11年。
3月11日 14時46分。

私はこの日、この時間を忘れることはきっと、ない。
毎年ちゃんと思い出し、静かに祈りを捧げるんだと思う。

それでいいと思った。
誰かは忘れてしまうかもしれないけど、私は覚えている。
何気なく過ぎていく日常の中でも、思い出して立ち止まりたい。

近くて遠かった私の心の中で、今日の14時46分、あの時間には重くて長いサイレンが鳴り響いていた。
沈黙の中に重くのしかかるようなあのサイレンの音は、鳴らなくとも私の中に聞こえていた。

自分の中の重い塊が溶けていくまでは、なかなか東北とは上手く向き合えないのかもしれない。
東北が好きで何かがしたくて戻りたくて暮らしていきたいけど、まだ今は上手くいかないのかもしれない。
考えすぎだよ、と誰かに言われるかもしれないけど、これは私自身の問題で、もう少し時間が欲しい。
11年経ったけど、11年経って大人になったからこそ、もう少し、時間が欲しい。



それでも私は、東北を想う。

私は、この日を、絶対に忘れない。



              2022時3月11日
                 25時55分
         寒さが緩んできた夜空の元で

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