渋滞から気づいたHSP考

並ぶのが苦手です。
行列する名店がどんなに絶品料理でも、並ぶなら食べられなくてもいい、と思ってしまう。
並ぶうちに疲れてしまって、食べられる頃には気持ちがしぼんでいるし、後ろにまだ人が待っていると思ったら、味わう気力が消えてしまうから。

待つ人がいてもお互い様なのはわかるけど、どうしてもしんどくて。

感じなくていいものを受け取ってしまうからかもしれない、とようやく気づいたのが、目の前に連なる渋滞を見てから。

渋滞も行列と同じように苦手で、自分がそこに並んでいなくても、並んでいるときのようないやな気持ちになることがあった。
なんなら、渋滞を見るとイライラしていた。

見てるだけなのに。
自分が車に乗ってすらいないのに。

それって変だな、と思った。
渋滞に迷惑をかけられることもなく、ただ目の前にあるだけなのに、なんでここまでイライラする必要がある?と自問がスタートした。
まわりに聞いても、同意する人が見当たらない。
渋滞に関係してないのになんで?と笑われたくらい。

あれ……もしかして。

渋滞に並んだときの、並ぶ人のイライラや、先へ進めなくて困ったなあという気持ちを想像したり感じ取ったりしているから?なのかも?

そう思えたら、合点がいった。

さらに感情の因数分解をする。
並ぶことは苦手だけど、待つことはそんなに苦にならない。
自分が急いでいるときは別として、渋滞や行列で時間をとられることに対して嫌になっているわけではない、とも言えそうだ。
友だちとおしゃべりしながら待つ時間も楽しいし、劇場で開演前の列に並ぶことも苦しくない。

苦しくなるのは、列が進まないことへの苛立ちを露わにしている人がいるとき。
あきらかに苛ついてる人がいるのに、その先の人はお構いなしにのんびり構えているような、ATMなんかでもしんどい。何件も振り込みあるんなら、何も今ここでこの時間じゃなくても、と不満な空気にいても立ってもいられなくなる。
満車になりかけの駐車場とか、その近くのカオスな交差点とか、クラクションがもう音以上の意味と怒声に聞こえるあの感じ。
喉元をかきむしりたくなるような、気持ち悪さとモヤモヤが募る。

結局はそういうことの記憶から、勝手に感情が呼び出されて、渋滞を見るだけで苦しくなってしまったのだろうと思えた。

とはいえ。
ならぶ行為があれば、そこに苛立ちが生まれれば、どんなに自衛しても苦しくなることは消せないのかもしれない。
音楽や誰かとのおしゃべりや、苛立つ人をけん制する圧倒的な雰囲気の出せる人のそばにいることができたら、楽になれるのかな笑

ひとつずつ、楽に暮らせるように。
向き合うことのできなかったところへも、少しずつ扉やカーテンを開いていこう。

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