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ウィズの世界2:おしゃべりなマスク

いつでもどこでも、人と接するときにはマスク着用が「マナー」とされつつある今。

その目的はだんだんと「飛沫防止」が1番手になってきた印象で、ウイルスブロックの効果は現状とても個人差が出ているように感じます。そのことについては一切善し悪しを述べる何をも持ち合わせはしませんが。

7月目前、こんな夏に向けてマスクをすることを常とせよなんて夢にも思わなかった私たちは、暑さやメイク崩れや水分不足といった身体的な困難さに直面、いやもうすでに激突していますよね。
ユニクロのエアリズムマスク大ヒットは言うに及ばず、その発売よりずっと先駆けていたマスコミに報じられない大小様々の冷感、冷涼、速乾のような夏にひとすじの心地よさを謳ったマスクは今も品不足が続いています。

つけなくてもわかるレベルの『熱によるデメリット』に加えて私たちを直撃したのは、マスクtoマスクによる「会話の成り立ちづらさ」ではないでしょうか。
マスクに加えてビニールカーテンやアクリルパネルをも介してしまうと、何気ない会話のために発声練習のような大声になることも。
このちょっとした今までと違う消耗がストレスを増加させているのかもしれないな、と感じてしまいます。

この難しさから、会話は言葉だけで交わしていたわけじゃないってことに、ようやく理解が及んだほどです。新入社員の接遇研修で聞いたなぁ……なんて。

でも、最近、私の周りだけなのかもしれない不思議な現象が増えてきました。
職場での同僚たちの会話が、なぜだか増えてきた気がするのです。

立ち話や席の近い者同士でのおしゃべりはゼロとは言わないまでも、活発ではない時期もありました。特に少し前までの宣言中などは出勤人数を減らそうと試みたり、日ごとに変わる自治体の動きに辟易したりして、陽気なおしゃべりも封印気味に。

それが新しい様式での生活を始めましょうとなって、マスクをしていればオッケーというような空気がどことなく生まれて、マスクを免罪符のように感じてしまうからなのでしょうか。
はたまた「覆面」たるマスク本来の役割がおしゃべりの口元を隠してくれて、おしゃべりをする自分の隠れ蓑のような感覚を持たせ、仕事場でありながらおしゃべりに興じさせてしまうのでしょうか。

もちろん要因はマスクだけに限らないでしょう。
仕事が忙しくなっていかなくて、抱えていた仕事も次々飛んで、本来なら忙殺されていたはずの時期にぽっかり時間ができているせいかもしれません。
4月の人事異動や席替えを経て、今の環境がしっくり馴染んできたこともあるはずです。

働く場として、新人を育てる場として、いい緊張感とともに会話が弾むのはとびっきりいい傾向なはずなので、この状況は喜ばしくもあるのですが、これがマスクによる一種の効果なのかもしれないと思ったことが今日のnoteのきっかけでした。

今までなら、マスク着用=会話から距離をとりたい状態(体調、精神、メイク状況などなど)であることが多い認識だったので、マスクとの暮らしが想像を超えてきていることが面白く不思議なことで。

夏が本格化してきたら、どうマスクと付き合っていくべきなのか。
試される季節はすぐそこまで来ているんだなあ。

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