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家族へ贈る、父の半生の物語。僕が死んでも、君たちの記憶の中で生き続けたい。まぁ、120…

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家族へ贈る、父の半生の物語。僕が死んでも、君たちの記憶の中で生き続けたい。まぁ、120才までは生きる予定だから、ひょっとしたら僕が一番長生きになっちゃうかもだけど・・・。

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  • 僕の爪痕

    家族に贈る、父の物語。

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1973年冬

我が家は四條畷のアパートから、藤井寺市の市営住宅に引っ越した。詳細な年月は記憶には無い。ただうっすらと、2階建ての古い木造アパートから、3階建てのしっかりとした建物に移ったと認識していただけだった。それでも幼いながら、なんだか立派な暮らしぶりを肌で感じた事をおぼろ気に思い出す。 その住宅の同じ棟に、クリクリの大きな瞳の女の子が住んでいた。いつも少し高い位置に二つ結びをしてて可愛い子だった。みっちゃん(仮称)というその子が、僕が明確に覚えている人生で初めての友達だった。まだ弟

    • 1970年夏

      第三次佐藤内閣が発足し、日本で初めての歩行者天国が銀座、新宿、浅草、池袋で実施され、大阪万博の閉幕を翌月に控えた1970年の夏、大阪府四條畷市の片隅で、ひっそりとこの世に生まれ落ちた僕。その日がどんな日だったのかはwikipediaでしか窺い知ることがきないが、どうやら冒険家の植村直己が北米大陸最高峰のマッキンリーへの単独登頂を果たし、五大陸最高峰登頂者となった日らしいので、それなりに日本ではおめでたい日だったのだろうか。 岡山から出てきて大阪で知り合あった両親にとっては、

    1973年冬

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