43歳、肩書はない

「肩書で人を判断するな」とはよく言われるが、肩書とは便利なものだ。

例えば、「大手メーカー勤務 営業職40歳課長」と聞けば、なんとなくその人の暮らしや収入が想像できる。

もちろん、思想信条や人格はわからないが、ビジネスの現場でのコミュニケーションの簡略化には非常に有効だ。「肩書なんていらねーよ」なんて、一昔前のパンクロッカーみたいなことを思う人もいるかもしれないが、肩書での会話は余計な前置きがなくなり、楽なのだ。そして、みんなが知っているような肩書であればあるほど楽になる。

2022年末に会社を辞めて、肩書がなくなった。もともと、たいした肩書でもないので、特に変化はないと思っていたが、零細事業者にとっては思いのほか面倒なのである。

個人で会社も設立しているので、当初は会社名を名乗っていたが、誰にも認知されていない。ちなみに社名はNORAKURA(ノラクラ)だ。当然、名乗ったところで「NORAKURAって何ですか」となる。「のらりくらり生きたいからノラクラです」と答えると、先方は苦笑するか沈黙するかのどちらかだ。話は続かない、というか相手の表情からはこの話を続けるのをやめようという強い意思しか感じられない。

「こっちはマジメに名乗っているのに滑っているみたいじゃん。これはビジネスとしては非常にマズい」ということで、独立して半年後くらいから「ライターです」と名乗るようになった。

ライターと言う言葉は非常に便利だ。文字を書く仕事全般に使える。ライターと名乗ればライターになれるし、何をしているかよくわからなくても「ライターです」といえばメディア関係者はそれ以上突っ込まない。ライターという職業が無職と薄皮一枚のところにいるのを知っているからだ。

だが、残念ながらスーツにネクタイをしているまっとうな種族には通じない。「何を専門で書かれているのですか」と十中八九は聞かれる。正直、「いろいろやっています」というのが正しい返答なのだが、それでは会話は進まない。

ひとつのテーマにとことん向き合い、調べたり、取材したりしている書き手は私からすればライターではなく作家だ。もちろん、自己紹介でそんなことを語るほど、シラフな私はめんどくさい人間でもない。「そもそも、何かを専門的にやっているわけではないから今、丸の内のオフィスの会議室であなたに自己紹介しているんですよ」ともいえないので、一応、形としてわかりやすい実績を説明する。

ライターが名刺代わりにしやすいのが自著だ。となると、私は偉人の泥酔についての本をここ数年で2冊書いているので、「酔っ払いについて書いています」と答えることになる。至極、わかりやすく自己紹介したつもりだが、相手にしてみれば、さらに意味がわからなくなる。

「酔っ払いについて書くことが仕事になるなんてあるのだろうか」「それを商業出版として出す出版社は何を考えているのだろうか」「そもそもこの人は酔っ払っているのではないか」「そんな状態で会社の受付を突破されたら、俺まで酔っ払いみたいではないか」などの不信感を相手は全く隠さない。そして、またもや会議室に沈黙と苦笑をもたらす結果になり、全く自己紹介にならない。

先日、知人に人を紹介してもらう機会があった。知人は先方に私を、「酔っ払いライターの栗下さんです」と紹介した。

当然、先方は困惑していたのだが、この紹介は決しておかしくない。ノンフィクションを中心に書くライターはノンフィクションライターだし、サイエンスについて詳しいライターはサイエンスライターだ。美容について調べたり、体験したりして書くライターは美容ライターだ。だから、酔っ払いについて書くライターは酔っ払いライターである。だが、酔っ払いについて書くライターなんて存在が認識されていないため、酔っ払っているライターと間違って認識されるというのがお決まりである。そして、悲しいかな、酔っ払っているライターであることも時と場合によってはあるので間違いではなく、否定もできない。

肩書と言うものは通常、詳細になればなるほど相手に伝わりやすい。例えば、名刺に経済産業省と書かれているよりも経済産業省関東経済産業局地域経済部と書かれていた方がイメージが湧く。ところが、私の場合明らかに誤解を与えてしまうので、「ライター」と名乗るしかないのだが、そうすると「村」の外の人からは何を書いているのですかと聞かれる。ええと、ですね…、この繰り返しからどう脱するか。今年の大きなテーマである。

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