【大問題】九州の最終処分場

昨日は、縄文キャンプですべての準備を引き受けてくださったグループの
リーダーたる藤田さんが林業をされているということで、
林業や地元に関連する内容を取材させていただきました。

藤田さんの経営なさる事業の求人募集が下記ですが、
縄文キャンプで具体的な話を聞くと、
「福利厚生よりも、そっちの方が絶対いいわ!!」
という内容の労働条件でした。
あんまり書くと、それだけで記事ができてしまうので、
今日はそこは割愛します。
とはいえ「福利厚生」と問われると、正直に書いているところが
藤田さんの人柄を表しています。


それはそうと、昨日は九州の県境に最終処分場が建設されることについて、
地元の方にお話をお聴きしました。

それについて、嫁の考察を書きます。

まず、今回の県境の最終処分場ですが、
日本を代表する清流の上流に作られようとしています。
その結果、最終処分場が作られる県(地方自治体)と
その影響をモロに受ける県(地方自治体・地域)が大きく異なります。

したがって、影響を受ける県の住民は、
職業によっては自分たちの死活問題であり、
生活においては「本当に水を子供に飲ませても大丈夫なのか?」という
不安を抱えることになります。
ちなみに、影響を受ける地域では、
これまで地下水をそのまま飲料水として利用してきました。
ということは、上水道が整備されていない地区が多くあるということなので、地下水がダメなら上水道を飲めばいい、というのは当てはまりません。
また、地下水がダメな場合、だれが上水道を引く費用を負担するというのでしょうか?
さらに、井戸水をそのまま利用してきたご家庭は、
水道料金は基本料だけ、です。
それが利用した量に応じて請求がかかるのでは、
生活において大きな損害が出ます。

これだけ考えても、最終処分場を造る業者や自治体は、
影響が出る地域にきちんと説明をして、
まず得ないといけなかったものは「信頼」でした。

結局、「この人が言うのだから仕方がない」という納得感があれば、
ここまで問題がこじれなかったのだろうと思います。

それが、説明は一切ないという、強引なやり方では、
「不信感」しか出てきません。

この件に限らずですが、
信頼できる人の集団である「信頼できる業者」が
隠し事のない「信頼できる数値」をきちんと毎日出すという
信頼に根差した透明化
が必要だったわけです。

ちょっと余談ですが、ダム建設を行う場合、
ダム底になる市町村では必ず反対運動が起きます。
そこを解決して巨大ダムを造る場合、
日本では「信頼に根差した透明化」が行われてきました。
それが日本らしいやり方でした。

その点、今回のやり方は、説明なし、信頼なしですから、
日本的なやり方ではありません。

また、「やり方がおかしい」という反対が起こったら、
日本的なやり方であれば、すぐに担当者がすっ飛んできて
「住民への説明会」を行います。

今回の件では、そのような話は一切、聞かれませんでした。
複数の方に取材してこれですから、
実際に全く説明会が行われていないか、
行われたとしても、地域住民は「説明会」と認識できない程度の内容だったということです。

この時点で、和多志は、「日本人ではない人たち」の気配を感じます。


そして次に感じたのが、
「どうして最終処分場がそんなに雑なの?」という疑問です。

例えば、豊島区ではごみ焼却場がたくさんありますが、
煙突に複数のフィルターが付いていて、
ごみの焼却施設から大気中に放出されるのは、ほぼ水蒸気だけです。

そして、そこまでキレイにすると、
焼却後の「最終処分」されるものは、超小型化できます。
もちろん、それは諸々の危険がありますから、
厳重管理が必要ですが、
それでも「超小型化」されていることから、
問題はほとんど出てきません。

なぜそのようなことを、この最終処分場でできないのでしょうか?

取材の会話から嫁が聞き取ったのはこういう事です。

・技術的にはできる。
・そのためには莫大な電力が必要。
・原発は、一度稼働してしまうと、廃炉にするまでに、
 発電しようとしまいと、常にメンテナンスが必要で、
 そのメンテナンスを怠ると、大事故につながる。
・原発のメンテナンス費用は、発電しているかしていないかに関わらず、
 ほぼ一定。
・上記のことから、とりあえず原発を廃炉にするまでは、
 原発を稼働させてその電気を廃棄物の最終処分場に使えば、
 豊島区のごみ焼却場とほぼ同じことができる。


なぜ、この最終処分場が大問題になったかと言えば、

・影響を受ける地域の「信頼を勝ち取る」努力をしなかったこと、
・技術的には影響をほとんどゼロにすることができるのに、
 それへの努力が見えなかったこと、

の2点が原因です。

ここを解決すれば、ここまで話がこじれなかったはずです。


日本的な企業であれば、特に「信頼」の部分に関しては、何かあると
「思い至りませんでした。申し訳ありませんでした」
とすっ飛んできます。
果たして、そういう日本的な精神を持つ企業が携わっている事業なのか
日本を切り売りする、いわゆる「売国」の一環として
今回の事業が行われようとしているのか、
和多志も注視してまいります。





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