「寄り添う」とは?

※これはあくまで和多志個人の、とあるタイプの人に対する想像と個人的な感覚です。

上記の記事を読んだ。

内容は想像どうりだったから「そうなんだねー」という感じ。

和多志にとって問題だったのは、下記の部分である。
『接種者や医療介入を受ける人たちに「大変ですね、不安もわかります」というのは寄り添うことではない。』

上記の記事の2ページ目の最後の方に出てくる。


えっ!!!!!!!!!


本当に驚いた。

もし自分の身内にこんなことを言う人間がいれば、
打首獄門、射殺一択である!

というのは冗談だが、
少なくとも膝詰めで座って、
相手が完全に理解するまで説教することが確実である。


ちょっと考えてみてほしい。
どうして昼過ぎのファミレスは主婦であふれているのだろうか?
コロナ禍とか何とかいっても、結局、主婦は自分たちの基地のようなファミレスや、場合によっては自宅でひたすらおしゃべりしている場合が多かったではないか!
経済状況も家庭内の状況も、子供の人数も、育った環境も考え方も、何もかも違うはずの主婦が、なぜ今日も明日も大挙してファミレスに行くのだろうか?

PTAの相談?
それもあるかもしれない。

仕事の打ち合わせ?
それもあるかもしれない。

でも、それを口実に女性たちがやっていることは何だろうか?


こんなことを書くと、ほとんどの男性たちは女性たちが話している内容にヒントがあると想像するだろう。
そして、その会話内容をきちんと聴けば、何らかのヒントや問題の解決策が出てくると信じているのだろう。

では試しにそういう視点で女性たちが話す内容を聞いてみてほしい。

決して、そういう聞き方では答えは出ないことを保証する。


というのは、女性は相手の話なんか聞いていないから。

いえ、そりゃ理解できる程度には聞いていますよ。

でも、本当に聞いているのは話している相手の感情なのです。

だから、
「へ~、そうなんだ~。
わかるよ~。
大変だね~。」

とか

「へ~、そうなんだ~。
そりゃ、ラッキーだよね!」

とか、

とにかく相手の感情を聞いて、それを自分の言葉に直して同じことを言い直してあげているのです。

内容なんて、会社の話から旦那の愚痴、子供の教育から今晩のおかずに至るまで話しているのだから、男性的な視点で議事録を取ろうとしても、意味不明な議事録になりますよ。

でも、女性はひたすら順番こに、相手の感情を聞いて、それを自分の言葉に直して発言して、話した人と同じ気持ちになっている。

もし感性が違っていて、話した人と同じ気持ちや感情になれなくても、「少なくとも相手はそういう感情なんだな」と理解して聞いている。

仮に理解できなかったとしても、理解しようと努めて聞いている。

多くの女性にとっては、これが「寄り添う」という事なのです!


もし、ここに『接種者や医療介入を受ける人たちに「大変ですね、不安もわかります」というのは寄り添うことではない。』なんて言う人がいれば、

(そもそも、こんなことを言う人は、女性集合のファミレスなんかにはいないとは思いますが)

「この人とは、言葉が通じないのよね」
という事になります。

「どうせわかってくれないから」
と、誰もこれを言った人に声をかけなくなります。

無視しているとかではなくて、面倒だから話しかけないのです。


考えてみてくださいよ。
世の中の半分は女性なんですよ。

女性は、母であり、主婦であり、会社員であり、嫁であり…。
いくつもの立場によって、キャラクターを使い分けているとはいえ、そもそも一人の人間がいくつもの役割を演じているだけなのですよ。

その際に、「今は家庭だから、寄り添うの定義は…」「今は患者として病院にいるのだから、寄り添うの定義は感情を理解してもらうことではなくて、エビデンスによる説明を受けて云々」なんて、状況によって言葉の定義を変更しながら理解すると、行動すると思いますか?

そんなハズは無いのです!!!!!


「寄り添う」の意味や定義が違う人とは、女性は話などしたくないのです。
たとえそれが医者であっても。


もっと言えば、「寄り添う」の定義が自分と違う人が作った製品を食べたくないのです。体に入れたくないのです。

もし食品にゴキブリが混入していたとして、こちらが「もー、サイテー!!」と怒っている時に、こういう人ってゴキブリの栄養価を説明しそうじゃないですか。「だから食べても大丈夫です。異物混入ではございません」とか言いそうじゃないですか。

実際にそういう事が起こるかどうかは別として、そのぐらいのことを予想できる人が作った製品には触りたくないのです。

口に出すかどうかは別として、これが多くの女性の感覚ではないでしょうか?



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