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だから僕は料理が出来ない

包丁の使い方は知っている
鍋の使い方もフライパンの使い方も知っている
料理のさしすせそも知っている
基本的な調理方法は知っている
なんなら肉じゃがを作れるくらいには知っていた

もっぱら我が家では僕が料理を担当してます
まぁ親父と二人だし、大したものは作らないし作れない

レパートリーも大したことが無くて、炒め物、揚げ物、鍋料理、たまに煮物を作るくらい
この間は初めてグリルを使って魚を焼きました

美味しいって何?

致命的なのは
僕が美味しいを理解できないから
例えば野菜の鮮度、食べ方、調理法も大体知ってる
肉の良しあし、魚の良しあしも知ってる
ただ、それが「美味しい」で合っているのかが分からない
人によって味の感度って違うから
自分にとって美味しく感じるかもしれないモノは誰かにとってマズいモノかもしれない
そう考えると美味しいが何なのかが分からなくなる

外食するときもそう
作ってくれた相手に失礼だから、基本的には美味しいと感じるようにしている
腐っていなければだけど

食べられるか食べられないかでしか食べ物を判断できない
美味しいものが何か分からない
僕の好物は「食べやすいモノ」でしかない
どんな味付けが好きなのか、どんな味付けが嫌いなのか
もう分からない

自然と食事に興味が無くなるから
昼ご飯を食べたのかどうかを忘れる
何を食べたのかなんてすぐ忘れる
美味しかったかどうか?
分かるわけがない

だから僕は料理が出来ない

味付けの基本は、レシピ通りにすること
僕にはそれしか出来ない
それが美味しいのかどうかすら分からないから
それを果たして料理が出来ると呼ぶのだろうか?
料理に対して、食事に対して失礼ではないだろうか?

生きていくことそのものに無頓着になると
食事にすら無頓着になる
食事はただの栄養補給でしかなくなる
そもそも栄養自体よく考えていない

感情は思考の渦にかき消されて
どこかへ行ってしまう
感情に理屈を求めて
そこには虚無だけが残る

ただ全ての食材に感謝と謝罪を

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