産後1週間で敗血症になった話

起こったことを備考録として残しておきます。
足りないところがあったらまた書き足します。


12月某日、私は第3子を出産した。
年子3人目である。

もう3人目の妊娠ともなると慣れたもので、出産にあまり恐怖やら不安感はなかった。
上の子ふたりが2歳と1歳なので、子どもの世話で、冷静に考える暇がなかっただけとも言える。

分娩時間も1時間半。出血量も少なくはなかったが、750mlとかだったので、そんなに大した量ではなかった。


予定よりも1日早く退院した。
上の子どもたち2人に早く会いたかったからだ。
その日から買い出し、料理、その他家事を毎日やった。
上2人の子の時はそれでなんともなかったからだ。

(※ちなみに、夫も育休を取ってくれていたので、頼めばやってくれたんだろうが、自分の思う通りにならないのが嫌で、ほとんど自分でやってしまっていた)


退院から3日、その日はちょっと大きめのショッピングモールに来ていた。
上の子たちのクリスマスプレゼントを探すためだ。
でも物色している最中、だんだんお腹が痛くなってきた。
無理しすぎたかもと、何も買わずに帰宅する車内でどんどん痛みは増していく。
家に着いて座った後は、動くのも難しくなっていた。

そんな中でも呑気なもんだから、赤ちゃんに授乳して、休もうと最後の力を振り絞ってベッドに潜り込んだ。


おかしい。
眠ろうとしても、痛みが波のように押し寄せてきて眠れない。お腹全体にズンズンと痛みが響く。
昨日だって、夜間授乳もあって睡眠時間は3時間かそこらだ。
眠くないはずがない。
その内寒気もやってきた。
カタカタと体が震えて、スマホを持つ手にも力が入らない。

1時間くらいそうしていたところで、やっとこれはおかしいことに自分でも気づいた。

リビングにいる夫に電話をかける。

慌ててやってくる夫は、病院に電話をしろと言った。
先日私が出産した総合病院である。
震える手で電話をかけると、夫に連れて来てもらえという。
私は泣きそうな声で、一歩も動けない。ベッドから起き上がることも難しいと言った。

電話を代わった夫が、救急車を呼び始めた。
この頃から涙が溢れて止まらなかった。

15分くらいして救急隊がやってくる。
救急車に乗せられた。
生まれて初めての救急車だった。


病院に着いてからは、あっという間だった。
インフル、コロナ、導尿からの採尿、たくさんの採血。
たくさんの検査をされ、3日前まで入院していた産科病棟に再入院となった。
この頃は鎮痛剤の点滴をされ、痛みは弱まったものの、始終ボーッとしていた。

熱はずっと39℃台。
3日くらいすると37℃台まで下がる時もあったが、午後からまたボンっと上がる。
この間ずっと抗生剤の点滴を繋がれていた。
発熱も腹痛も辛かったが、最も辛かったのは子どもたちとまた会えなくなったことだ。
毎日泣いていた。


主治医の見立てでは、A群溶連菌による敗血症。
敗血症という言葉を聞いて、急に重病人になった気がした。
病院に来るのが遅かったら、危なかったと色々な人から言われた。

自分が思っているよりずっと、産後の体は傷つき、疲れていたのだと実感している。

これを書いている最中もまだ入院中である。
いつ退院できるやら未定だ。

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