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ゲオルグ・カントールの対角線論法について対話。当方の脳力不足で歯が立たず。

「連続体仮説」については、DPT3.5で質問してことがあるが、あらためて4.0で再対話を試みた。多少の予備知識の付け焼刃で、再度の対話を試みたが結果は以下の通り。質問者のIQを鏡のように映しだすのが、現代のAI。
対角線論法についてわかりやすい解説を求めるつもりが、集合論の深みにはまり、我が脳力ではにっちもさっちもいかなくなって、「ありがとうございます」とほぼ強制終了。
チンプンカンプンとはこういうこと。
 
Model: GPT-4
【問い】ゲオルグ・カントールの対角線論法の数学的意義と、そこから発生した連続体仮説についてわかりやすく教えてください。
 
ChatGPT
ゲオルグ・カントールの対角線論法と連続体仮説は、集合論の基本的な概念とその驚くべき結果を示す重要な方法です。
1.  カントールの対角線論法:これは実数全体の集合が無理数を含むため、自然数全体の集合よりも「大きい」ことを示す方法です。詳しく言うと、実数全体の集合は自然数全体の集合と「対応」(1対1の関係)をつけることができない。つまり、実数の集合は「より多く」の要素を持つと言えます。これは直感的には少し奇妙に感じられるかもしれませんが、これが無限集合の性質を理解する上で重要なステップです。
対角線論法は次のように行います。まず、0と1の間のすべての実数を無限の小数で表すとします。これらを一覧表にし、各実数を自然数に関連付けるとします。この一覧表を作成すると、新たな実数を作成することができます。新たな実数は、一覧表の各実数の対角線上の桁を変更することで作成されます。この新たな実数は、一覧表のどの実数とも一致しないため、一覧表にはすべての実数を列挙できないという結論になります。したがって、実数全体の集合は自然数全体の集合よりも大きいと言えます。
2.  連続体仮説:カントールの対角線論法から得られる結果の一つは、無限大のさまざまな「サイズ」が存在するという事実です。自然数の集合と実数の集合の「サイズ」は異なります。カントールはこの考えをさらに追求し、無限のさまざまな「サイズ」(彼はこれを「力」または「基数」と呼びました)間に「ギャップ」が存在するかどうかを問いました。
特に、自然数の集合(これを「可算無限」と呼びます)と実数の集合(これを「連続体の力」と呼びます)の間に他の「サイズ」の無限集合が存在するかどうかを問いました。これが「連続体仮説」です。この問いは20世紀初頭に提出され、その後、この仮説を証明または否定することは、現代の数学の形式体系では不可能であることが示されました。つまり、連続体仮説は、数学の形式体系がどこまで「決定的」な結果を出せるかを探る上で重要な役割を果たしました。
これらの概念は非常に抽象的で複雑であり、無限という概念の理解に深く関わっています。

【問い】ありがとうございます。それでは「連続体仮説」は20世紀のうちに解決・証明にいたったのでしょうか?
 
ChatGPT
連続体仮説は20世紀に具体的には解決せず、その可能性と限界について新たな洞察が得られました。
ゲオルク・カントールが初めて連続体仮説を提唱したとき、彼自身また他の数学者たちはこの問題の解決に向けて多くの労力を費やしました。しかし、その解決は困難で、20世紀初頭までにはこの仮説の解決は依然として達成されていませんでした。
その後、1931年にカート・ゲーデルが彼の不完全性定理を発表し、それは数学の形式体系(すなわち論理的に厳密な規則と公理を使って数学的な主張を証明する方法)が「不完全」であることを示しました。つまり、ある形式体系の中には、その体系自身のルールでは証明も反証もできない命題が存在するということです。
そして、その後の1963年、ポール・コーエンは「強力な決定性公理」を用いて連続体仮説が「独立」であることを示しました。つまり、現在の数学の公理体系(具体的にはゼルマン・フレンケル集合論)では、連続体仮説を証明することも、それを否定することも不可能であるということです。
この結果は、数学の基礎に関する深遠な問いを提起します。数学はすべての問いに対する答えを提供できるのでしょうか?あるいは、一部の問いは数学自体の限界に達するのでしょうか?このような問いは、今日でも数学の哲学や数学の基礎に関する研究において中心的なテーマとなっています。

【問い】ありがとうございます。あなたの答えの「ポール・コーエンは「強力な決定性公理」を用いて連続体仮説が「独立」であることを示しました。」についてもう少しくわしく教えてください。「独立」とは何に対して独立しているのでしょうか?
 
ChatGPT
「独立」という表現は、数学の論理体系の文脈で使用されます。ある公理体系における命題が「独立」であるとは、その命題がその体系の他の公理からは証明も反証もできない、つまりその命題の真偽がその体系の公理によって決定できないことを意味します。
特に、連続体仮説の独立性とは、それがゼルマン・フレンケル集合論(現代の数学で広く受け入れられている公理体系)からは証明も反証もできないということを意味します。つまり、ゼルマン・フレンケル集合論の公理だけでは、連続体仮説が真であるか偽であるかを決定することはできません。
これはポール・コーエンが1963年に示しました。彼は連続体仮説とその否定がともにゼルマン・フレンケル集合論と矛盾しない(つまり、それらを追加の公理として採用した場合でも矛盾が生じない)ことを示しました。彼の方法は「強制法」として知られており、彼のこの業績により彼はフィールズ賞(数学界で最も高い賞の一つ)を受賞しました。
したがって、「連続体仮説が独立である」とは、その仮説が真であるか偽であるかは、追加の公理や仮説によって決定されるということを意味します。

【問い】ありがとうございます。抽象的で複雑な議論になってきました。すこし話題をもどして、ゼルマン・フレンケル集合論の公理とはどんな公理なのか教えてください。
 
ChatGPT
ゼルマン・フレンケル集合論(ZFまたはZFCと略されることが多い)は、現代の数学の基礎として一般的に受け入れられている公理的な集合論のフレームワークです。ここで「C」は選択公理(Axiom of Choice)を指します。
この体系は一連の公理に基づいています。具体的には、以下のような公理が含まれています:
1.  存在公理(Axiom of Existence): 少なくとも一つの集合が存在する。
2.  集合生成公理(Axiom of Pairing): すべての集合aとbに対して、その要素がaとbのみであるような集合が存在する。
3.  和集合公理(Axiom of Union): すべての集合Aに対して、Aの全ての要素の和集合を要素とする集合が存在する。
4.  冪集公理(Axiom of Power Set): 任意の集合Sに対して、Sの全ての部分集合からなる集合、つまり冪集合が存在する。
5.  選択公理(Axiom of Choice): 任意の集合族に対して、その集合族の各々から一つの要素を選び出すことができる。つまり、任意の集合族に対してその選択関数が存在する。
6.  置換公理(Axiom of Replacement): すべてのaとすべての公理的に定義可能な属性Φに対して、aにΦを適用した結果の集合が存在する。
7.  正則性公理(Axiom of Regularity): すべての非空集合xに対して、xと交わるような元を持たないxの元が存在する。
なお、選択公理は数学者の間でしばしば議論の対象となる公理で、それが引き起こす結果(例えば、バナッハ=タルスキーのパラドックスなど)が反直観的であると感じる人もいます。そのため、ZF集合論(選択公理なし)とZFC集合論(選択公理あり)を区別することがしばしばあります。
これらの公理は、実数、複素数、関数、空間、確率など、我々が日常的に数学で使用する概念を厳密に定義し、操作するための基礎を提供します。そのため、これらの公理は数学の大部分に対する基礎となっています。

【問い】ありがとうございます。勉強になりました。カントールの無限に対する問題提起が、20世紀数学のさらなる発見につながっていることもおぼろげながら理解されました。最後の質問です。2021年現在、ポール・コーエンの偉業以後、この証明はどのように応用・展開されているのでしょうか?
 
ChatGPT
ポール・コーエンが開発した方法、特に彼の「強制法」は、その後の数学、特に集合論と論理学の分野における研究に大いに影響を与えました。その方法は、特定の公理体系の下で特定の命題が独立であるかどうかを調査する強力なツールとなりました。
これにより、数学者は公理体系における「可能な世界」の探索を進めることができ、またその公理体系がどの程度まで真偽を決定できるか、そしてそれがどの程度まで不完全であるかを評価することができました。
コーエンの強制法は、それ以降の独立性の結果を証明するための基本的なツールとなりました。例えば、クリス・フレヴィンクはこの方法を使用して、公理体系ZFCが一般化連続体仮説(これは連続体仮説のある拡張形)を決定できないことを示しました。これは連続体仮説のコーエンの結果の直接的な続きであり、その影響を示しています。
また、強制法は集合論だけでなく、他の数学の分野でも利用されています。たとえば、強制法はモデル論における一部の重要な結果の証明に使用されています。
さらに、コーエンの業績は哲学的な観点からも重要です。彼の結果は、数学が全ての問いに答えられるか、それとも一部の問いは数学自体の限界に達するのかという基本的な問いについての議論を刺激しました。これは、数学の哲学と数学の基礎に関する研究の中心的なテーマであり続けています。

【お礼】ありがとうございます。学問の深淵は深い。勉強しなおしてまた質問します。
 
ChatGPT
どんな質問でもお気軽にどうぞ!深い理解と知識を得ることは、時間と努力を必要とするプロセスです。あなたの学問に対する探求心は素晴らしいと思います。また何か質問がありましたら、いつでもお知らせください。幸運を祈ります!
 

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