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牛肉を愛した偉人たち ⑯・フランツ・シューベルト

 手元に『シューベルトの手当て』という一冊の新刊本がある。クレール・オペール著、鳥取絹子訳、アルテスパブリッシング社。著者は1966年パリ生まれ、チェロ奏者、アートセラピスト、作家。本の帯によるとオペールは自閉症の若者、認知症の高齢者、終末期の患者たちに寄り添い、チェロを奏でつづける。音楽がもたらした奇跡の物語。
 彼女の演奏によって、患者の痛みは10~50%軽減し、不安解消の効果は90%近く、看護師の100%が好影響を受けたと回答する。緩和ケア担当医師は「10分間のシューベルト=5ミリグラムのモルヒネ」と証言。
 プロローグにはタイトルの由来となっている逸話が紹介されている。いささか長くなるが引用します。
 
  二○一二年四月。パリ、アレジアのコリアン庭園。
  老人ホームの窓の前にあるナラの大木の葉っぱが、春の明るい日差しに
 揺れている。
  認知症フロアにある談話室のドアが大きく開いている。
  この談話室の名前が「エスパス(空間)」というのは興味深い。エスパ
 スの定義を辞書で調べると、宇宙を包括するひろがり、宇宙空間、星や銀
 河間の空間となっている。
  (中略)エスパスの片隅で、ひとりの女性が叫んで、暴れている。まわ
 りでふたりの看護師が動きまわり、女性からの攻撃を必死に避けて、患者
 が車椅子から落ちないよう押さえこんでいる。
  看護師たちにしてみれば、ケスレル夫人の包帯を巻きなおさなければい
 けないのはたしかだ。夫人の右腕は化膿かのうしている。
  夫人の顔は、しかめっ面で手をかざす看護師たちの横顔に隠れて、わた
 しにはよくわからない。叫ぶのをやめたと思ったら、看護師たちに|噛
 《か》みつこうしている。
  なにが自分をそうさせたかわからないけれど、気づくとわたしは夫人の
 前に行っている。そしてひとこともしゃべらず、その場に座っ 
 て、彼女のためにチェロでシューベルトのピアノ三重奏曲第二番作品一
 ○○のアンダンテのテーマを弾いている。
  ほんの三秒、おそらく二小節を演奏したあたりで、彼女の腕の力が抜
 け、とつぜんだらりとさがる。叫び声は止まり、部屋はふたたび静かにな
 る。そのとき彼女の顔を見ると、目は驚きに満ち、くちびるには
 かすかな笑みが浮かんでいる。
  この日、わたしは少ししか演奏していない、それほど手当てが早く終
 わったから。これはもう驚きというよりも、奇跡といっていい。ふと見る
 と、看護師たちもつられて微笑み、ひとりは声まで出して笑い、そしてわ
 たしに言う。
  「ぜひまた、シューベルトの手当てのために来てもらわなければなりま
 せんね」
 
 プロローグはシューベルトの曲が紹介されてるが、手当てにはバッハ、モーツァルト、ベートーヴェン、ブラームス、ラフマニノフ、ショスタコーヴィッチ、(中略)映画音楽からゴスペル、ジャズ、ロック、ポップ、メタルまで登場する!
 
 ウィーンに生まれ、ウィーンに死す
 フランツ・ペーター・シューベルト(1797年~1828年)はウィーン郊外のリヒテンタールで生まれた。ドイツ系植民の農夫の息子である父は教区の教師をしており、母は結婚前にウィーン人家族のコックをしていた。フランツは第12子として生まれ、13番目に娘が生まれた。
 シューベルトは貧乏を絵に描いたような生涯を送った。その点は本誌の2023年5月号の拙稿、「ジョアキーノ・ロッシーニ」が巨万の富を得たのと両極をなす。15歳の頃、兄に宛てた手紙には「相変わらずお粗末な昼食の後は、8時間半もたってからようやくみじめな夕食にありつける」という言葉が記されていた。そしてそれから約4年後の彼の日記によると、その頃、彼は生まれてはじめてお金をもらってワッテロート教授の聖名祝日を記念するドレクスラーの詩によるカンタータを一曲作曲したようだが、その時得た報酬で、何か美味しいものを食べたのだろう。
 シューベルトはまれにお金が入ると、友人を呼んで得意の「グーラッシュ」を自分で作ってご馳走した。この料理は、牛肉と玉ねぎを鍋に入れてトロ火で形がなくなるまで煮込んだものだが、天才は何をやらせてもひと味ちがっているもので、いまに残る「グーラッシュ、シューベルト風」を考え出している。これは鍋を火からおろす直前に、四角に切った仔牛の肝臓と腎臓などの臓物を放り込むのである。これだけのことで、この料理はたちまち滋味深いものになった。しかし、赤貧のシューベルトがこの料理をふるまえたのは、年に一度か二度のことだったという。
 
 ハンガリーのグヤーシュ・スープ
 ここでわたしが年間購読している食いしん坊の雑誌、「dancyu」から芥川賞作家で、パリ在住21年の辻仁成氏の“パリ・スープ”から第12回“ハンガリーのグヤーシュ・スープ”(2020.9.30)を紹介する。
  
 牛肉 250g
 玉ねぎ 200g(みじん切り)
 パプリカパウダー 20g(甘口)
 牛肉スープ 1250ml
 トマトペースト 小さじ1
 にんじん みじん切り
 ★ 香辛料
 ・ セロリの葉 適量
 ・ 潰したニンニク 2片
 ・ マジョラム 小さじ1/2(乾燥でよい)
 サラダ油 大さじ3
 お酢 大さじ1~1と1/2
 塩 適量
 
 グーラッシュはハンガリーが発祥の地らしく、ハンガリーではグヤーシュと呼ばれ、スープとして愛されています。それがドイツやオーストラリアではシチュー料理になるのです。面白いですね。ハンガリーでの正式名称はグヤーシュレヴェシュ。グヤーシュは「牛飼い」を意味し、レヴェシュは「汁」のこと。ハヤシライスはここに語源を持つという説もあり、なるほど、確かに。フランスのブッフ・ブルギニヨンも、もしかしたら、グヤーシュの影響を受けているのかもしれません。
 
「冬の旅」へ 
 1827年3月26日、敬愛するベートーヴェンが死去すると、シューベルトはウィーン市民2万人の大葬列の中の一人として松明たいまつを持って葬儀に参列した。その後、友人たちと酒場に行き、「不滅のベートーヴェンを偲(しの)んで!そして、我々の中で一番早く彼に続く者のために乾杯!」と音頭をとった。このとき友人たちは一様に大変不吉な感じを覚えたという。そして、彼の寿命はその翌年で尽きる。 
 シューベルトは1822年の暮れ頃、梅毒を発病している。友人たちと連れだって行った女遊びが祟ったものと考えられている。梅毒は進行こそ遅いものの、医療技術が発展していなかった当時は原因不明の不治の病で、彼の体を蝕んでいった。最期は死去した年の10月にレストランで食べた魚料理がもとの腸チフスであったとされる。感染を恐れて友人たちが病床を見舞うこともできなかった。次兄のフェルディナントの家族に看取られて31年の短い生涯を閉じたのは、それから3週間もしない11月19日のことだった。生家にほど近いヴェーリング墓地は現在「シューベルト公園」と呼ばれているが、その一角にはベートーヴェンとシューベルトの旧墓石が残されている。また、ウィーン4区には「シューベルトの亡くなった家」と旗がついているひっそりとしたアパートが今なお保存されている。
 
 最後にトリヴィアになるが、黒柳徹子は高校生の頃、映画『未完成交響曲』を観て、シューベルトにぞっこんになった。あの有名なまん丸い眼鏡に、もみあげを長くした写真を集めて、首から下げていたらしい。そして東洋音楽学校のソプラノ声楽科に入学した。つまり、シューベルトの存在がなければ彼女の今の地位はなかったかも知れない。(『映画に乾杯 歓談・和田誠と11人のゲスト』、キネマ旬報社から)。
 
 補遺として本誌2023年12号に登場した大学の同級生である千葉家畜共済OBの朋友ほうゆう吉谷一紀君がお薦めのシューベルト作品を案内します。
 ピアノ五重奏曲イ長調「鱒」作品114、D667
 ピアノ連弾曲幻想曲ヘ短調作品103、D940
 交響曲第8番ロ短調「未完成」D759
 水の上で歌うD774(作品72)

                初出:『肉牛ジャーナル』2024年3月号
 

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