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牛肉を愛した偉人たち ⑮・荒畑寒村

荒畑あらはた寒村かんそん(1987年~1981年)、本名は荒畑勝三かつぞう。神奈川県横浜市で遊郭の仕出し屋に生まれる。堺利彦、幸徳秋水の影響から社会主義者を志す。入獄出獄を繰り返す中、小説、評論を執筆した。戦後、日本社会党より衆議院に当選。主義主張の一貫した生涯は、日本社会主義運動の良心の軌跡とされる。
 
旨かった監獄料理
 ここで『わが家の夕めし』アサヒグラフ編、朝日文庫(絶版)から荒畑寒村へのインタビュー記事(昭和54年1月19日)を紹介しよう。
 
  今まで食べたもので何が旨かったか、ですか。そうですね、なんでも旨
 かったな。
  明治から大正、昭和にかけて、未決、既決合わせて六年ほど監獄に入り
 ましたが、そこの〝監獄料理〟―まあ料理なんてものじゃないですが、こ
 れが一番旨かったですよ。
  東京や千葉の監獄では「控訴院」とか「楽隊」とか呼んでいたのがあり
 ました。「控訴院」というのは、魚のニシンのことなんです。ニシンの音
 が「二審」に通ずるところからこういったのです。「楽隊」はブタ肉と
 ジャガイモの煮つけ。なんで「楽隊」かというと「ジャガブタ、ジャガブ
 タ」というしゃれなんですね。京都監獄ではその上はないというのでサツ
 マ芋の水煮が「典獄」。これが一番上等なくらいだから、ここのメシは悪
 かった。
  監獄のそんなメシなんざ食えるもんじゃない、というかもしれんけど、
 他に何も食うものがない。一日何十時間も重労働しているんだから、こん
 な旨いものはない。
  だからね、旨いまずいに規則はないんだから、結局、人間の置かれた境
 遇によって旨いまずいは決まるんですよ。
  ところが僕の唯一嫌いなのが海草のヒジキです。これは監獄でも食わな
 かった。手をつけないでそのまま返してしまうと、おかずがなくなるわけ
 です。しようがないからそんな時は、朝、歯を磨くのに使う塩をメシにま
 ぶして食べましたよ。嫌いな理由? そんなこと考えたことないな。
 
 この記事には寒村が亡くなる二年ほど前(91歳)の東京都目黒区の自宅での写真が掲載されていて、献立は以下の通り。
 湯豆腐、薄切り牛肉の照り焼き(トマト、セロリ添え)、野菜の田舎煮(大根、里芋、サヤエンドウ、ハス、ニンジン)、キュウリとキクラゲのゴ
 マあえ、シジミの味噌汁。
 65歳で胃潰瘍の手術をして胃を半分切った人とは思えないような健啖ぶりである。
 寒村の有名な随筆に昭和50年9月25日号から「朝日ジャーナル」ではじまった『寒村茶話』(朝日選書)がある。
 この一編の「監獄料理の粋」という作品の一節を引いてみる。
 
  ぼくが食通だなんてとんでもない。食通には金と暇がなけりゃなれませ
 んが、そのどっちもぼくにはあまり縁がありませんからねえ。それに、数
 年前、大阪のある菓子屋が出していたPR雑誌に、作家の小島政二郎氏が
 毎号巻頭に各地名産の食べ物や料理の話を連載していて、よくまあ種がつ
 きないもんだと思ったほどでしたが、ちょうどその頃、ある作家が「小島
 に料理の味なんか分かるもんじゃない、彼は酒が飲めないから」って、何
 かに書いてたのを読んでからは、酒の全然飲めないぼくには食通になる資
 格はないと観念してるんです(中略)。
 ぎゅうめしは今でもあるけれども、質量とも昔に比ぶべ
 くもありません。浅草の国際通りに今でもある「騎西屋」っていう店があ
 るかもしれませんが、しかし、竹のたがが黒光りしている醤油樽
 に腰かけ、大丼(おおどんぶり)一ぱい五銭のうまい牛飯が食えたたのは、
 もう帰らぬ昔の夢です。
 
私の刑務所めし
 ここで重大なことを打ち明けないと後々困るから『私は告白する』(1953年)アルフレッド・ヒッチコック作。実はわたしは刑務所にしばらくいたことがあります。……あぁ、刑事罰あるいは民事罰で収監されたわけではありません。しかし刑務所の中でひと仕事をした体験はあります。いえ、別にクリント・イーストウッド主演『アルカトラズからの脱出』のように懲役囚の脱獄の手引きをしたとかの勇ましい話ではありません。夏休みで帰省中の大学生の頃、那覇市から新営移転した沖縄刑務所(南城市)で電気工事助手のバイトをやっていました。いやぁ、朝から晩まで穴掘りやセメント運びなどの肉体を酷使して食べる昼間の刑務所めし?の弁当は今回顧しても最高でしたよ。
 
日本の刑務所めし
 現在の日本の刑務所では、日々の給食以外は一切飲食物の差し入れはできない。給食は全員同じものを食べるが、受刑者のランク(1~5類)によってお菓子やジュースなどの甘いものが支給されることがある。受刑者はランクが上がってくるに従って、ある程度の優遇措置を受けることができる。その際、一番人気があるのが「お菓子が食べられる」ということであり、これは模範囚と言われる3類以上の受刑者のみが受けることができる。また、3類以上の受刑者の特典として、1回300円から500円の予算で刑務所側がお菓子の詰め合わせを用意し、講堂に3類以上の受刑者を集め、お菓子を食べながらDVDを観るという行事もあるという。
 うーん。わたしは極端な左党で砂糖はまったく眼中にないが、この「DVD鑑賞」のキーワードには食指が惹かれるなぁ。
 令和4年版犯罪白書第2編、第4章によると、被収容者には、食事及び飲料(湯茶等)が支給される。令和4年度の20歳以上の受刑者一人一日当たりの食費(予算額)は528.5円(主食費96.83円、副食費431.67円)である。高齢者、妊産婦、体力の消耗が激しい作業に従事している者や、宗教上の理由等から通常の食事を摂取できない者等に対しては、食事の内容や支給量について配慮している。
 ここでしばしば参照させてもらっている嵐山光三郎の『文人暴食』(マガジンハウス)から引用しますよ。
 
 「そのうまさは筆舌のよく尽くし得るところでない。僕は出獄後もその
 味が忘れられないで、細君にいろいろ説明して作らして見たが、どうして
 も監獄で食ったような味がだせないのである。『お前も一度入って自分で
 味わって見ろ、そうしたら工夫がつくかも知れない』と言って、細君から
 『バカなことを言うな』と大眼玉を食ったことがある」(中略)
  寒村は昭和二十五年の雑誌『世界』十一月号にこう独白している。
 「つらつら考うるに、私はもちろん社会主義を信條としているけれども、
 実をいうと社会主義の理論学説に深く通じている訳ではない。それは私が
 正則な学校教育をうけなかったからにも因(よ)るが、また私の頭脳の組織
 が元来、学問に向くように出来ていないからでもある。もっとも幾度かの
 監獄生活の間に少しは書をも読み、何程かは社会主義の理論学説をも習得
 したとはいえ、要するに変則的な、基礎を欠いた知識に過ぎないのであ
 る。……理論的な知識に乏しい私はそのために従来しばしば誤謬を犯し、
 失敗をかさねたに違いない。しかし、人情に欠けたマネはしまいというの
 が、また私の信條であったのである」(「私の信條」)
 
 作家の瀬戸内晴美は『寒村茶話』の解説を書いているが、その一節を最後に引いてみます。
 
  私の逢った人の中では、講演のテープに手をいれずにそのまま活字に出
 来るのは、松本清張氏と、丸谷才一氏と、寒村先生だと思う(中略)。
  寒村先生の講演は、いつでも熱演で、あのお年であんな若い声と迫力が
 どこから出るのであろうかと思われるほどの魅力的なのである。しかし座
 談が講演よりさらに面白い。記憶力は人間業とも思えないほどで、ディ
 テールの活写と再現能力は小説家も足許に及ばない。(中略)。
  先生は祇園のお茶屋に上がっても、島原の角屋の大広間の床の間を背に
 して座られても、実にサマになる方で、もうそのまま、りっぱなお旦那さ
 まなのであった。どこにいっても妓たちにもてた。ウイスキーののみ方
 や、つまらないおしゃべりを観察されているともしらず、彼女たちは爾来じらい、私に逢う度、
 「寒村センセ、どないしてやはります、お元気どすか、うちのこと覚えて
 くれはるかしら」
  と問い、必ず、どうぞよろしゅう、また来てくれやすとお願いどっせ
 と、とねだるのである。

                初出:『肉牛ジャーナル』2024年2月号


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