半ドン

 新年を迎えてもコロナ禍は収まりそうもなく、それどころか全世界的に感染拡大の勢いを増している。在宅勤務、テレワーク化を今年は昨年以上に推進せざるを得ないのかもしれない。そうなってくると、今までの働き方、学び方の常識は通用しなくなる。実際の場所に出社したり出校したりすることだけが勤務や通学ではない。仕事や学びと休日の境界、パブリックとプライベートの境界がどんどんシームレスになっていく。
 私は大学教員の傍ら、数年前からフリーランスの個人事業主として仕事をしているので、こうしたシームレス感は当たり前になっているが(日曜日にフルタイムで仕事をしていても苦にならないし、その分、どこかぽっかり空いた平日の自由を満喫する術も覚えた)、でも、どうなんだろう、やはり人間というのは、時間的な制約があって、ここからここまでは仕事(あるいは勉強)、ここからここまではフリー(自由!)と決まっていた方がココロがトキメク生き物なのかも。

 私が小学生、中学生、そして高校生だった1960〜70年代は、土曜日はまだ完全休日ではなかった。いわゆる「半ドン」というやつで、でも、だからこそなおのこと、あの土曜日のお昼時の開放感(小学生ならば集団下校の時のあの気分、中学生・高校生ならば、校門を真っ先に抜け出し遊び場に向かう時のあの気分)は格別だったようにも思う。私が1984年の時点で就職した会社もありがたいことに既に土曜日は完全に休日だったし、日本のおける週休二日制の歴史はけっこう長い。その結果、休日前の開放感を堪能する日は前日の金曜日へとスライドし、当時「キンツマ」的ドラマが放映されたのだろうけれど、でも、今思い返してみても、あの土曜日の「半ドン」気分は格別だった。半分休み、というのがいいのだ。

 ところで、「半ドン」のドンは「ドンタク」のドンである。ウィキペディアによると、zondag、オランダ語で日曜日を意味する言葉の日本語訛りらしい。ちなみに、現在私は竹久夢二をテーマにした論文を書いているが、夢二の絵入り小唄集のタイトルは『どんたく』であり、彼が大正12年につくった商業デザインの会社名も「どんたく図案社」である。

 限られた休日(ドンタク)があるからこそ、平日の働き甲斐(学び甲斐)があり、休日への開放感にココロがトキメクのかもしれない。これからの時代は、それを自分自身でコントロールし、自分だけのドンタク、あるいは「半ドン」を演出していく必要があるのかも。

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