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何度書いても伝わらないこと

年末から再三再四に渡って書いているこのガソリン車廃止問題だが、EV教徒の一部は本当に頑迷で理解しようとしない。

もう100万回書いて居る気がするが、筆者はEVを否定していないし、普及を止めようとも思っていない。ただマーケットの淘汰に任せよと言っているだけだ。趣旨は「EV以外も継続すべき」。だから本来は、上の図にある赤と緑の対決構造なのだが「EVバンザイ!」でなければ左端のEV反対派だと認定されてしまう。

EVの実力が本物ならば必ず普及し、選ばれなかったものは消えて行く。それだけの話だ。

だから、EV以外を禁止して強制的に滅ぼすようなことをするなと言っているに過ぎない。一例として内燃機関やHVは合成燃料によって、完全カーボンフリーの新しい動力源になる可能性を秘めている。未来の技術に封印しても良いことはひとつもない。むしろ、それらあまたある可能性を自由に研究し、開発できる諸外国に対して、EV以外を禁じる様な制度を日本が取れば、取り返しの付かないハンデになる。

今の政府は近視眼的にそれをやりかねないので、日本の未来が閉ざされることに対して必死に反対しているだけだ。ちょっと乱暴に例えれば、Windows7をいまだに使っている人がいるとして「今後Windows10以外の使用を禁ずる」という法律を作ったならば、Windows10の次世代が出て来た時どうするのかと言っている。そんなに難しいことは言っていないはずなのに何故理解できないのかが全くわからない。

さらに言えば、すでにパリ協定に基づいたCAFE規制があり、そこでCO2に対する削減目標は罰則付きで定められている。Windows7的なものは生き残れないルールがちゃんと策定されているにも関わらず、さらに屋上屋を重ねて、方式に対する規制をする意味があるのだろうか? 何故そこまで規制を愛するのかがわからない。

例えばCO2排出ゼロでもっと安価で使い勝手の良い技術が生まれたとしてもEVでなければならないと言い続けるつもりなのか?

余計な規制を増やすのは反対だ。むしろ規制は緩和方向であるべき。例えば、諸外国でもはや日常の光景となっているパーソナルな電動ガジェット。電動キックボードなどはとっとと規制緩和すべきだ。電動車椅子の速度制限も廃止した方が良い。いくら何でも時速6キロをキャップにするのはやり過ぎだ。家族が本人のコンディションを見ながら上限速度を設定できるようにすれば十分だ。

こういう規制こそがガラパゴスである。もちろんだからと言って無限にスピードを出せる方が良いという話ではない。理性と常識の範囲で、自由な移動を阻害せず、安全と両立できる新しい速度規制を設けるべきだ。例えば、電動自転車だってモビリティとしての新しい可能性がある。この辺も矛盾に満ちており、自転車の速度上限は時速60キロ。人によって意見はあるだろうが、たぶん多数派の意見としてそれは高すぎるだろう。他方で人力では60キロまで認められているのに、電動のアシストは24キロまで。どういう整合性があるのだろうか。電動か人力かに関わらず、自転車そのものの速度上限はあるべきだが、新しい時代に合わせて再定義すべきだし、それにバランスした制動力の基準くらいは設けても良いはず。そういう規制こそが本質ではないか?

この国は頻繁に規制の仕方を間違える。規制すべきはCO2排出量であって、動力源の方式ではない。目的と手段を履き違えた規制には強く反対する。

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