マルチリンクサスペンションの話から

さてマルチリンクサスペンションについては日経ビジネス電子版の記事で前後編に渡って書いた。

CX-60の記事を書こうとしたらとんでもないことになった


謎は解けた! マツダがCX-60のリアサスでやりたかったこと


大変難しい話を「初心者にも分かるように」という編集部の無理筋のオーダーをやれるところまで頑張ってみた記事である。で、まあ予想はしていたけれど、この記事について「池田の書いていることは怪しい」というコメントがいくつか付いた。まあそれ以上に労をねぎらうコメントが多かったのでさほど気にしているわけではないけれど、記事の中で「6自由度」の話に何故筆者が依拠する気になれなかったかはちょっと書いて置きたい。

否定的な人の論拠は、wikipediaで書かれていることと同じで、その定義するマルチリンクとは「4本以上の運動方向に拘束がない自在アームを三次元に配してアップライトを支持する構造である」という話である。

サスペンションの動きにはX軸、Y軸、Z軸の3方向についての座標移動とそれぞれの回転運動が存在するので、動きの自由度は6要素ある。で、その中で1方向の自由度のみを残して他を拘束するのがマルチリンクという話。まあその考え方そのものはわからんではない。

ただ、問題なのは、「球の体積は「V=4/3×πr^3」で求められる」というのと同じで、公式の丸暗記系のやり方でしかない点だ。筆者に言わせればそれは本当の知識ではない。この公式でどうして球の体積が求められるかを説明できてこその知識である。そして残念ながら、動きの自由度に関する説明の仕方で、サスペンションの動きをつまびらかにした記事が一般向けになったものは存在していない。より具体的に言えばアームの動きについて考えるのを止めたところから話がスタートしているとも言える。

そもそもアームで構成されているサスペンションである限り、アームの動きは必ず円運動になり、同軸でない限り、複数のアームの軌跡は絶対に矛盾する。それを解決できるのはサードリンクの存在だけだ。二重リンクになっているから何とかなる。

あるいは「現実的なエンジニアリング」の話として、ブッシュやアームの変形によって許容されているに過ぎない。そういう所を全部すっ飛ばして、アームと切り離したX軸、Y軸、Z軸の3方向とその回転運動だけの話にするとするならば、それはもうマルチリンクの話である必要はなく、イデアな世界のサスペンションの話でしかない。その動きを成立させるためにどういうリンクやブッシュが必要なのかの説明こそが求められている説明である。

自動車のリアルワールドでは、マルチリンクをピローボール化しようとした人は沢山いて、その人たちが一様に「ピロ足にするとサスが動かない」という現実に直面している。これは経験的に明らかなのだが、自由度式の説明だと、「そんな現実は起こるはずがない」ということになってしまう。現実を説明できない理論では、他者を説得するのは難しい。

記事を読む読者は、別にサスペンションの設計をやりたいわけじゃない。それがどう動いているのかを知りたいし、今回の例で言えば、CX-60のリヤサスの突き上げの理由を知りたい。そこで自由度理論を持ち出して、「突き上げなど理論的に起こらない」と言い立てても何の解決にもならない。自由度理論で、突き上げの説明を是非してみて欲しい。

何より、これまでサスペンションの説明は、揺動軸の動きをベースに積み重ねられてきていて、スイングアームもストラットも、トレーリングアームもセミトレーリングアームもダブルウィッシュボーンも全部そうやって説明されてきた。もし6自由度の方が上手く説明できるのであれば、全てのサスペンション形式について6自由度での説明を行うべきで、何故そこでマルチリンクだけに全く別系統の説明方法を持ってくるのか、あまっさえ、それ以外の説明方法を否定するのかは強く疑問に思う所である。

まあとは言え、理論とエンジニアリングは違う。現実には摩擦ゼロの物質はないし、揺動軸が完全にぶれない加工精度も存在しない。そういう現実による問題と、さらに彼らの言う自由度の話は閾値の中の話でしかないことも理解している。単純な話アームの長さ以上のストロークは絶対に取れないわけだし。ただ、そこに甘えて、現実を説明できない理論を持ち出して、他者に間違っていると言えるのはどうなのよと思うだけだ。

例えば、班田収授法で土地公有制が制度化されたけれど、私有地ではないから、田畑を増やすモチベーションがない。だから私有を段階的に認めて生産性を向上させていきたいという政治意図が発生して、墾田永年私財法が成立する。そうした制度は荘園を生んで、私有の土地を自衛する必要が生まれ、その結果として武士が誕生。その武士を律するために御成敗式目が制定された。

こういう縦糸のつながりを無視して、班田収授法、墾田永年私財法、御成敗式目の名前と成立年を暗記しても意味がない。ということを言っている。筆者の重要なブレーンのひとりには、数式の領域でないと分からない話を上手い具合に分解して解説してくれる古くからの友人がいて、彼のそういうところを見る度に本物だなと思うのだが、数式を暗記しただけで分かった気になるニセモノの理系にはあまり感心できないのだ。

ということで、別に自由度理論だって構わないので、論理的に起きている現象をちゃんと説明して欲しいと思う。

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