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筆の走りが悪いんじゃないか説について

本日朝アップされたITmedia ビジネスオンラインの記事「トヨタの大人気ない新兵器 ヤリスクロス」の記事に「今回池田さん筆の走りが悪いんじゃない?」というコメントが付いた。

ほほーう。それはなかなか鋭い指摘です。いや別にヤリスクロスに気乗りがしないとか、出来がいまいちというわけではありません。ただね。BセグSUVという製品そのものが難しいのですよ。

素のヤリスの方はわかりやすいです。トヨタで言えば、パブリカやスターレット以来連綿と積み上げてきた、ミニマムな乗用車のとしてのスタンダードがあるわけで、それは読む人も当然知っています。だから仮に「開闢以来至高の出来!」と書いたとしても、誰もそれを「クラウンより良いのか!」とか、「カローラより上なのか!」とかは受け取らないわけですよ。あくまでもBセグとしての出来の話であると、そう伝わるだろうと自信を持って書けるのです。けれどもSUVはそこがわからない。

良し悪しって何を基準に良いのか悪いのか。前にも書いたことがありますが、SUVは序列感が薄いのです。スターレット<カローラ<コロナ<クラウンみたいなヒエラルキーが出来上がっていない。セダンの新しい形としてスペースユーティリティが高いSUVもあれば、クーペあるいはスペシャリティとしてのSUVもある。つまり付加価値の乗せ方が割と自由なのです。

セダンライクなものを挙げれば、多分最も明瞭なのはフォレスターでしょう。むしろフォレスターとカニバらないために、レヴォーグはワゴンなのにクーペライクにシフトして行ってます。カローラツーリングも同じです。クーペライクワゴンなんてジャンルができる理由はユーティリティに本気で特化したSUVには、ワゴンはもうエアボリュームでは敵わないからです。セダン方向のSUVはCX-30ですかね。これもクーペ的なCX-3と並べると面白い対比になります。

逆にクーペ系SUVの代表はC-HRでしょう。もうほぼスペシャリティカーの一種。まああれがかっこいいか悪いかは諸説ありましょうが、トヨタとしてはデザイン勝負に出たクルマです。

ということで、要するにヤリスクロスはどこに基準点を置いて、何と比較して評価すべきかが割と難しいのです。ハリアーと比べるのは無理があるかもしれませんが、無理やり分類すれば、「DセグスペシャリティSUV」ということになるハリアーは、「良いけど大きすぎる」という人、スペシャリティSUVが欲しいけれどコンパクトなのが良い。むしろ値段なんて高くたって構わないという人にヤリスクロスは選択肢になるでしょう。値段は割と安いので、内装とかの豪華さはこういうニーズの人には足りないでしょうけれど。

特に難しいのはBセグでは割とSUVであるだけでスペシャリティになってしまうこと。例えばジュークなんかは、かなりスペシャリティというか、スタイル自体が商品というモデルです。新型は知りませんけどね。ヤリスクロスはそれに比べれば、ずっとセダンライクなクルマですが、それでも明らかにスペシャリティ感がある。もっと言えば、Aセグのライズだってスペシャリティ感はあるのです。

一方でベースのヤリスと比べて、車両重量は110キロ増えているし、室内高が高くなっているってことは、その重量増加はかなり上の方で増えているわけで重心の上がり方はかなりのもんだと思います。

これで走りがダメならバッサリ切り様もあるのですが、それがちゃんとまとまっている。諸般の状況に鑑みるに望外の出来と言えるのです。だったらスパッと褒めてしまおうかと思わないでもないのですが、はて、この辺の諸般の事情は読者のみなさんは織り込んでおられるだろうか? となるわけです。

そういう事情は全部客に取って関係ないのならば、そりゃ110キロ増えているのはダメです。加減速にもハンドリングにもその影響は出ていないわけじゃない。だからそういう諸問題を、公平に正直に書くしかないのです。じゃないと「諸々の都合でこうなるのは仕方ないよね」というスタンスになって、それじゃメーカーの代弁者になってしまいます。

かと言って、空間が欲しいから屋根を上げた。で重量が増えて、重心が上がった。そんなの全部メーカーの都合だと言って、状況を知りつつ無視して、ユーザーサイドに立つ振りをするのも偽善的過ぎます。エンジニアリングは魔法じゃない。要求を叶えるには対価が要ります。それに目を瞑ってまで正義の味方を演じる山っ気はボクにはないのです。

ただ、正直にフラットに。どうしてそうなったかを説明しつつ、本質的には出来が良いけれど、手放しでも褒められないという微妙な表現を一生懸命書いた原稿でした。

走らせてしまった方が楽な筆を一生懸命理性で押し留めて書いた記事。なので「筆の走りが悪いんじゃないか」と指摘した方はとても鋭いもんだなぁと。むしろ「あ、バレてる」と思いました。




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