リスペクトの欠如
話題の新型iPad Proの広告動画。意図するところは「破壊と創造」でまあモチーフとしては普通。動画としての新規性とインパクトは創造よりも破壊にあり、リアルな破壊の瞬間を捉えることによってエモーションを感じさせるもの。だから破壊される過程に映像としてインパクトがあるモノが選ばれ、壊れる過程を丁寧に撮影している。
中央を高くして積み上げられた多くのモノがプレス機に押しつぶされていくのだが、最初に壊れるのはトランペットで、徐々に変形していく過程が映し出され、これからトランペット以外のものが容赦無く潰されていく流れを予見させる。壊れるトランペットを見せられる人の心の動きはあらかじめ計算され、より効果的かつ冷静に演出されている。映像を見て最初に思い出したのは、子供の頃流行った、映画『世界残酷物語』に端を発するグロを見せ物化したフォロワーシリーズ。
人が死ぬ瞬間とか事故の瞬間とか、物が壊れる瞬間、それとエロあたりの衝撃映像系には、理屈抜きで人の興味を吸い寄せる力がある。エログロは最も安易なエモーションの付け方なので、それを頼りにエンターテイメントを作ることはやっぱり低俗のそしりを受けざるを得ない。安易で楽な道だから。
そこを開き直って、「エログロに理屈抜きで興味を吸い寄せられる」ことそのものに向き合うのならアートなのだと思う。それは人の耳目を集めるに際しての手法としては低俗と知り、恥ずべきと知りつつ、どうしたってエログロにエモーションを掻き立てられざるを得ない人の本性に向かい合う行為だから。
なのでこの映像の評価は、そういう人のサガを抉り出すことを目的として制作されたと見るか、それとも商品をアピールするために安易なエモーション獲得法を用いたと見るかで変わるだろう。
もうひとつ重要な視点があって、それは壊されるものが、どれも文化の担い手としての象徴性を持っていること。iPadがそれら多くのツールに代わるものであることを示す以上、人が価値ある物、あるいは大事なものだと思うものが破壊されないとメッセージにならない。でそういうものは過去において、あるいは現在も人が人生の中で多くのリソースを捧げた対象であり、リスペクトの対象である。だから映像の中で壊されるモノはどれも使い込まれた風情があるものが選ばれている。誰かに愛され大事にされてきたものであることを示しているのだ。誰かの大事なものが破壊される惨劇。だからエモーションが生まれる。
ただ、よく見るとアップル製品がひとつも見当たらない。たとえばApple llが最も目立つ場所に置いてあっても良いのではないか。あるいは壊されるモニターにはジョブスがプレゼンをする姿が映っていても良いのではないか。誰かの大事なものの中に、アップルやそのファンにとって極めて重要なモノが含まれるラジカルさがあれば、多分この映像の評価はもう少し違ったはずだ。自分がリスペクトするものと他者がリスペクトするものを等価に扱わないのならそれは他者の文化に対する蹂躙のカリカチュアに映る。多分そういう身勝手さが、不快を訴える人たちの心の中にあるのではないかと思う。
少し前に、テスラのサイバートラックが、ポルシェ911と加速競争をする動画があった。しかもサイバートラックはキャリアに載せた911を牽引しているにもかかわらず、911を打ち負かす。筆者からみるとこれもiPadの動画と同類だった。別に911の代わりにモデルSが相手でも良かったはずである。自動車史において多くの人のリスペクトを集めてきた911という象徴を蹂躙することに冷静を装った悪意をボクは感じたし、この動画でよりテスラが嫌いになった。
かつて日産がリーフの加速力を示すために、180SXを引き立て役に使って炎上したことがあったが、これらの例と比べると、自社の製品を使っただけまだマシだったのかも知れない。
Meet the new iPad Pro: the thinnest product we’ve ever created, the most advanced display we’ve ever produced, with the incredible power of the M4 chip. Just imagine all the things it’ll be used to create. pic.twitter.com/6PeGXNoKgG
— Tim Cook (@tim_cook) May 7, 2024
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