欧州の予想通りの掌返し

さてさて、「EV、EVって言うけどさ、短期的にはそんなに上手く行かないよ」とずっと言って来ました。もちろん長期は別です。そこはやっぱり人類の未来のために、EVへのシフトは続けた方が良い。

でもね。目前数年での大幅なEVシフトや、内燃機関の廃止を欧州のメーカーがホントにできるのかと、原材料的にも、生産設備的にも、インフラ的にも現実を見ればできる訳ねーだろと。CO2問題を世に訴えたのも、ルールを決めたのも欧州なんですが、そのハードル、自分が飛べないだろうと。

そうなった時、過去の彼らのやり口からすると、ルールを変えて来るんじゃないのかと、それもずっと指摘してきたわけです。

奴らは、「困ったらディーゼルを正当化する理屈を見つけ、さらにLCA(ライフサイクルアセスメント)を錦の御旗にして、掌返しをするよ」と、それをずーっとずーっと言い続けた気がするのですよね。だって普通に考えるとそういう結論にしかならないから。

その間、EV真理教の皆々様から、旧来型自動車産業の走狗みたいに言われて来ました。「エンジンが滅びるのがそんなに都合が悪いのか?」、あるいは「日本の自動車産業の変革の阻害要因になっている守旧派ジャーナリスト」みたいに。いやね。そうじゃない。見立てとして滅びるか滅びないかの話をしているわけで、都合は関係ないのです。むしろ、「EVは緩やかなペースで普及を続けて行き、やがて長期的未来のどこかで主流になるだろう」という主張に噛みつかないとならんのは何故なのかを問いたいわけです。長期的未来じゃなくて、数年後、それも2年後3年後に来ると言わないヤツは悪に加担するヤツみたいに言い募る理由はなんなんだと。

キミらはどうして、何を根拠に「2022年には内燃機関を搭載したクルマを買う経済合理性がなくなる」とか主張しているのよと。まあその説の元となったアメリカ発のオリジナルの記事は読んだけれど、それはグラフの線の傾きを勝手に延長して、「ほらね」という式のヤツなんで、それずっと延長していくと、今のマーケットの規模をいくらでも突き抜けられるじゃんと。グラフの傾きを敷衍して行けばやがて世界の年間EV販売台数は1京台とかになるわけですよ。お前ら微分で全てを決めるんじゃねぇと。こっちが原材料の供給上限の話とか、生産設備の上限とかの話をしているのに。

自分の頭に搭載されている脳味噌はそれを妥当だと判断したのかと、小一時間問い詰めたいわけですよ。EV真理教のプロとかセミプロを。ヤツらは流石に公式の記事には書きませんでしたが、コメント欄とか細かく見ていくと、散々「自動車ジャーナリストは業界から金もらっているから」とか言ってたわけですが、それって自分の話だったりするの? と。昔の2ちゃんねる風に言えば「自己紹介乙」ってことで。

それで、まあ割とそっち派だった日経の清水記者の華麗な掌返し原稿が話題です。これシリーズで出るらしいので必読でしょう。掌返しを無視すれば、書いてあることは極めてまともです。腹の中でムズムズする。「ずっと言うてたやん」という気持ちに折り合いさえつければ。

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