挑戦と無謀の境目

さて、3日にITmedia ビジネスオンラインに掲載された「内燃機関から撤退? そんな説明でいいのかホンダ」について、コメント欄やtwitterへの投稿を見ていると概ね言いたいことは伝わっている様に思えるけれど、誤読による反論は相変わらずそこそこいる。これはもうこちらも繰り返し書いて行くしか無いので分かっている人にはいまさらだけれどまとめる。

1. 筆者は、ホンダがプレゼン通りに、他の可能性を全部棄てて、EVとFCVだけに専念して上手く行くとは思っていないが、私企業としてそういう方針を打ち出すことは自由であっていいと思う。それには疑義は呈したとしても批判はしない。

しかしながら、その後の質疑応答を聞く限り、プレゼンがただのリップサービスであることが明白になった。その結果、大手メディアが作り出した「EV幻想」を無思慮に後押しするものだから批判している。ここで言う「EV幻想」とはEVがバラ色の未来であるという話で、技術的見地からの利害得失を無視した無責任なEV提灯報道を指す。EVは有力な技術であり、普及は目指すべきだが、さりとて地域や使い方を問わず誰にでも最高であるとするのは誇張のし過ぎだ。そうした印象操作はユーザーにデメリットが大き過ぎる。

当然のことながら、EVにも世にあまたある技術と同様に向き不向きがある。向き不向きの無い技術を筆者は思い浮かべることができない。当たり前の話として、内燃機関やハイブリッドに向かない用途があるように、EVにもまた向かない用途もあるし、欠点もある。その向かない用途は「EV幻想」の人達が言うよりかなり多い。技術的見地から考えて100%は絶対に無理である。ガソリンエンジンもディーゼルエンジンもハイブリッドも、歴史上ひとつの技術だけが、クルマの動力源の100%を占有したことはない。EVだけにそれができると考えるのは異様なことである。

技術立脚の企業であるホンダは、そんなことは百も承知でありながら、誠実な利害得失の説明を端折り、分かり易さのために「事実の方を過剰にトリミング」した説明を行い、100%を宣言した。その上で質疑応答で問いただされてほとんど全ての面で矛盾を露呈した。それを批判できないとしたら筆者の職業適性の資質を問われる話である。

2. 何度も書いているが、筆者はEV普及には反対していない。むしろ「EVは最速で普及すべし」と思っているが、それは供給側が決めるものではなく需要側が決めるべき。自由経済下で、欲しくないものを強制的に買わされる様なことはあってはならない。

だから、EV普及のために優遇政策を取るところまでは否定しない。補助金も、減税も良いだろう。もちろんシェアを高めて行った時にその補助輪はいずれ外さなければならないのは自明だが、さりとて現時点で長足に普及を進めたい技術であるのだから、促進する制度はあるべきだ思う。

問題は、他を禁じるやり方だ。それは全く意味が違う。筆者の記事に対する反論の中には、「プリウスだって成功するかしないかわからない中で、“良いからやれ”式に進められたプロジェクトだった」という主張があったが、今に至るまで一度もハイブリッド以外禁止などという馬鹿げたことは起きていないし、トヨタは「100%ハイブリッドにする」等という血迷ったことは言っていない。

技術の進歩とは「選択肢を増やすこと」である。今ある技術に新しい(EVが新しい技術かどうかの本質論はおく)技術が加わって、総合的なメリットで市場の好選の結果、淘汰が進むのは全く正しい。だから、無いとは思うが、仮にそうした市場原理による競争の結果においてEVが100%になるなら、それはそれで淘汰の法則の結果であって何も異論はない。

しかし、制度が、ユーザーの選択肢を決め、個人の財産の使い方を制限するのであれば、それは断じて反対である。中国を褒めそやすのであれば、市民生活の選択を政府が独断的に決められる制度を導入する覚悟があるのかを問いたい。他を禁じるやり方は自由主義と相容れない。政府が個人を支配下におくやり方などまっぴらごめんである。

3. 挑戦的姿勢と無謀を一緒くたにしてはいけない。特に破壊的革命は陶酔感を呼ぶらしいが、それは時に滅びの美学である。国を滅ぼしてはいけない。

挑戦を定義するのであれば、何度でも挑めること。諦めずにバッターボックスに入るということは逆に言えば再チャレンジの仕組みが無ければならない。無謀とはワンチャンスに全部を賭けて、ダメなら再起策がないやり方を言う。挑戦は支持するが、無謀は支持できない。それは日本国民の幸福を人質にした話だからだ。

だからこそマルチソリューションが大事なのだ。未来において、EVが唯一無二のゴールであって、イデアな存在だと主張するならそれはもはや宗教である。今、EVが新しい技術として存在感を強めている様に、未来にもまた新しい技術が出て来ることは間違いない。その時に他の技術を全て禁じてあったらどうなるのか?

4. 雇用の話にも大きな誤解がある。自然な淘汰を支持する以上、競争の結果として雇用が失われる可能性は常に存在するし、それを絶対固定するのは共産主義である。あらゆる場面で雇用を最優先にして守れという話をしているのではない。人力車の車夫が鉄道に敗退して消えて行ったように、自然の淘汰で消える職業はある。しかし、雇用を全く考慮しない変革をわざわざ推進しようとするのはダメだと言っているだけである。

この点についてのリスクは無数にあるが、一例だけ挙げよう。EVのコストの4割はバッテリーである。ホンダ三部社長は5割とさえ言っている。もし、日本が今のまま無策にEV以外禁止などという方向に進めば、バッテリーは中国か韓国から調達することになる。自動車産業60兆円の4割から5割が流出したらどうなるのか? 150万人が失業する事態が予測される中、セーフティネットを張らずにEV化を進めるとしたらそれは自殺に他ならない。

EV化すれば新たな成長があり、新たな雇用が生まれるのだ。と言う話は、そのための準備をちゃんと行えばの話である。

EV化は進めるべきだが、その準備としてまだまだやらなければならないことがある。国内のバッテリー生産体制を整えるのが先だし、そのためにはまず中国に寡占されている原材料への手を打たなければならない。

南鳥島でレアアースが採掘できるのだとすれば、それは自動車産業だけの話ではない。電子機器や生産機械に至るまで、日本経済の原動力となる産業全てに関わってくる。国の予算で年間1兆や2兆つぎ込んでも構わないくらいそのメリットは大きいはずだ。逆に言えば、レアアースの調達とバッテリー生産に対するケアをやらずにEV化を進めた時のリスクはあまりにも大きい。日本の製造業が国外に流失するか、海外調達にシフトする。中国と韓国は諸手を挙げて賛成するだろうが、彼らのメリットは日本のデメリットがそのまま移動するだけのことになる。

雇用の維持は、国の根幹だ。経済のベースであり、治安の基準である。それを失ったら成長どころの話ではない。そういう話をしているのである。

お気持ちの投げ銭場所です。払っても良いなという人だけ、ご無理のない範囲でお使いください。