「日本の第二の敗戦」を読んで

BLOGOSの記事「日本の第二の敗戦」を読んだ。

京都大学の「経営管理研究部」教授ともあろうお方が、日経の与太記事を情報源にこんな記事を書いていることが嘆かわしい。

こういう記事を読むとき、書いた人のポジション取りを最初に確認した方が良い。ダメだとすぐわかるのは「名誉白人ポジション」だ。

自分自身が日本人のひとりで当事者であるという感覚がない。まるで部外者の様に「日本」を外から眺め、断罪する。だから、当事者として内側から眺めれば絶対にあるはずのリアリティが無い。

日本企業は、すぐ隣りの日本企業だけを見ている。賃金で負けていないと確認し、東証に上場できたと喜ぶ。それだけである。世界水準に目がいかない

という辺りは全然違うと思う。むしろ中韓との経済戦争によって、日本の労働市場は強制的に変えさせられた。今の低賃金日本があるのは、グローバルな競争の結果である。

バブル崩壊後の日本が苦しんだのは、不良資産と化した過剰投資の調整であり、その過剰投資には人件費が多く含まれていた。労働基準法を変えない限り、一度上げた本給は減らせないし、クビにもできない。そしてこれらの過剰投資が生産原価に乗っている限り、新興国との価格勝負に勝てない。

企業がその原価に悲鳴を上げ、それでも雇用を守ろうとした時、メディアは「日本の経営者は旧来の雇用習慣にしがみつく無能である。コストカットできない経営者は去れ」と大バッシングキャンペーンを張り、ミスターコストカッターであるカルロス・ゴーン氏を絶賛した。

ちょうど今「トヨタは下請けを切れないから世界の競争に負けて行くのだ」と言っている連中と瓜二つである。こういうことを言う連中は、自分をカルロス・ゴーン氏やイーロン・マスク氏になぞらえた経済ポルノで淫靡な夢をみているだけ、有名経営者に成り代わって「旧態依然とした日本の経営者にパニッシュメントを与える俺カッケー」という浅はかな快楽主義者である。

本来異なる意見の長所短所をぶつけ合って正解を探していくはずの議論が、何故か相手を「古い」と決めつけマウントを取るところから始まる。それが「ポルノで良い気持ち」になってしまっている連中の特徴である。頼むからオナニーはひとりでやって欲しい。人前でやるのは変態だ。どや顔のオナニーを強制的に見せつけられる側は堪ったもんではない。

さて、この「クビを切れない経営者は無能」という大波に日本が襲われていた時、筆者もまた新米経営者の端くれだったが、日本の経営者の「賃金や雇用を削るのは経営者として無能の証で、恥ずべきことだから最後の最後まで手を着けてはならない」というモラルが音を立てて崩れていき、聖域がなくなっていく瞬間をまざまざと見た。

政府は政府で雇用の流動化につながる正社員の待遇規定に一切着手することなく、ただ全部の責任を企業経営者に押しつけた。そういう政策の舵取りをした竹中平蔵氏は、現在人材派遣会社パソナの会長に収まっている。だから何だとは言わない。それはひとりひとりが考えることだろう。

追い詰められた経営者は、法に守られて手のつけられない旧来雇用者の過剰人件費のしわ寄せを、新規雇用者に付け替えるしかなかった。つまり「トータルの平均で下げたい人件費」の内、着手できない「既雇用者」グループの分を、着手できる「新規雇用者」部分に全部乗っけるのだ。原因は法律の歪みである。その結果、これ以降、正社員のベースアップが凍結され、初任給が下がり、正社員のリスクを怖がって非正規雇用が激増した。パソナ大儲けの時代が来たわけだ。

じゃあ、そもそも、何故人件費でそこまで調整しなければならないほど不良資産が増えたのかと言えば、日本には隣に経済新興国として伸び盛りの韓国があり、1960年代から一貫して急成長を続けていた。1962年(軍政の終了)と1980年(光州事件)を特異点として例外とすれば、GDPの年率成長は5%を割ったことがない。むしろ頻繁に10%を超え続け、いわゆる高度経済成長状態にあった。彼らが日本と競合する製品を作れる様になった90年代以降、日本の労働者は韓国の人件費と戦わなければならなくなった。

しかも日本にとって運が悪いことに、韓国との経済的死闘を何とか優勢に終えた途端、韓国からバトンを引き継いで中国が成長を始めた。良くも悪くも投資遺産がないそれらの国は、生産原価が日本より安い。筆者の記憶では、2000年頃中国の人件費は日本の1/10だった。

その戦いのゴールは何かと言えば、日本の人件費が競合国の人件費と互角になることだ。彼らの人件費が10倍に上がるか、日本の人件費が1/10に下がる。あるいは両方が同時に起きて1/5くらいで均衡点ができるか。言ってみればこの30年間、日本は歯を食いしばってその戦いを続けてきた。人件費を下げなければ死ぬ戦いであって、それを否定するならば、高い人件費のまま中韓の製品に勝つ戦略があっての話だろう。

という観点から見れば、ひとり当たりGDPで抜かれるというのはようやくゴールに達したということだ。そういう条件に達するために、長年人件費を抑制し続けて来た結果、日本の社会構造、ことに国内消費構造が変わってしまったことがどう作用するかは正直分からないが、そもそもこの30年、日本が何と戦ってきたのかを理解せず、ただむやみに人件費を上げよという話なら、もう一度彼らを優勢にするだけのことである。

韓国も中国も人件費が上がり、さらに言えば経済的不均衡が広がって社会不安が拡大している。どちらの国でも経済的強者を叩く安易な政策が進行中であり、国の経済はそれによって縮小再生産方向に向かうことになる。少なくとも流れとしては国が強くなる方向に向かってはいない。

日本が取るべきは、経済的強者を叩くのではなく、経済的弱者を押し上げる、だから給与水準の引き上げは、条件が整えば正しい。それによって拡大再生産方向に向かうべきだ。しかし、その引き上げ率は日本の製造原価と見合いながら、競争力を失う轍を踏まない様に注意深く、可能な限り人件費を上げていくしかないはずだ。

だとすれば生産性改革こそが重要になるが、コストダウンによる生産性改革はともすると人件費抑制に向かう。だから拡大に向かう良い生産性改革でなければならない。

ということでもういい加減、出羽守が「GAFAでは」みたいに騒ぐのはダサいし、変態的だから止めろと言ってやらないといけないし、カッコ良さげなテクノロジーありきで話すのも止めた方が良いと思う。最後に笑い話的逸話をひとつ書いて終わる。

2019年にJR各社が新幹線の車内販売を縮小または終了した。「長距離移動の場合水分補給は重要だ」という当然の意見があった時、MaaSな人達が言い出した。「需要のマッチングがない車内販売だから効率が悪いので、ビッグデータで需要予測を行って、必要な時に必要なものを届ければもっと生産性は向上するはずだ」みたいなご意見である。

彼らはこういうクラウドとかスマホを使った仕掛けが大好物で、問題の解決よりもそういうオナニーが始まってしまうのである。筆者が「それ、自動販売機を設置すれば簡単に解決する問題じゃないですかね?」と言ったら、気まずい沈黙が訪れた。解決の手段と目的は頻繁にひっくり返る。誰かを悪者に仕立てあげる分かり易い話は大抵害毒だと思う。


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