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駄菓子屋さんと乃木さんのしりとり歌

須磨の駄菓子屋さん

須磨に仕事で行った時
少し早くついてもうて
すこしだけ、
あたりをうろうろ
「あー!!!」
素敵な駄菓子屋発見

ん…
あれ…
やってはるかな?
ばあちゃんがふたり入り口入ったとこで話してはる

「見させてもろてええですか?」
いきなりスーツのおっさんが入ってきてびっくりするばあちゃん達

『ええけど、なんもないで』
とばあちゃん達の関所を通過。

たしかに
びっくりするほどなんもない。
お菓子が少しと

昔の村の何でも屋さんで
カレーのルーとか
ちょっとづつ
洗剤とかある
ちょっとづつ

前は近くに高校があって
そこの子たちが
いっぱいきてたんやって

いまは
高校もなくなって、
近くにローソンもできた。

子どもたちも
ほとんど来なくなった。

『子どもきてもな奥で悪さすんねん』
最近店の奥で、
お菓子の当たりを
開けて見る輩がおるらしい…。

だから
たまにくる
お客さん(わたし)は
かなりの奇異の目でみられるのか。

帰ってくる居場所として

ぱっと目をやると
おばちゃんのうしろの暖簾にネクタイが吊るしてある。
今はなき高校の子達は卒業して
ここにネクタイを置いていくのが恒例になってたんやって。

高校がなくなって、取り外してたけど
たまに「俺のネクタイは??」って
結婚して子ども連れてくるから
もどしてんて

…じゃ、やめられへんなおばちゃん
そらしゃあないわ笑
あきらめw

乃木さんのしりとり歌

2人のばあちゃんに
児童館の職員であること
駄菓子屋玩具や伝承遊びについてしらべていることなどをお話したら
むかし、
竹で鉄砲作ったことや
竹馬で遊んだこと
けんぱしたこと
などおしえてくれた。

中でも面白かったのは
『乃木さんのしりとり歌』である。

初めて聞いた。
内容から
日露戦争時の乃木希典大将の凱旋歌
と思われる。

調べて見ると
いろんなところで歌われてたようだ
これは
先行研究と呼ぼう

今回出会ったばあちゃんの
出身地は岡山県
ご自身のお父さんやおばあちゃんが
口づさんでいらして
自然と覚えたとのこと

歌詞は以下の通り

乃木さんのしりとり歌(岡山vr)

日本の
乃木さんが
凱旋す

目白
ロシヤ(ロシア)
ヤマバタキン
金の玉
負けて逃げるが
ちゃんちゃん棒で
叩くは犬殺し
シベリア鉄道多けれど
土瓶の口からはきだせば
ババアの歳は85


先の先行研究をみると
これが近い



日本の
乃木さんが
凱旋す、
雀、
目白、
ロシヤ、
野蛮國、クロパトキン、
金の玉。
たまげて逃げるはチャンチャン坊
棒で叩けば犬殺し
シベリヤ鉄道長けれど
土人の國まで撃ちませば
バルチク艦隊沈没し
死んでも守るは日本の…

比較してみる

伝承遊びは
人から人へ口伝するときに
わからない点がでてきて、
それを自分なりに工夫したり代替えして補填する。

この歌の場合
最初の作者は不明だが
その節のおもしろさにより
人から人に伝わって
全国に波及したとおもわれる。

そのなかで
ところどころが、
意味がわからなかったりききとれず、
オリジナルがたくさん
枝分かれしたわけだ。

仮に先行研究の⑤をよりベースに近いと考えると

「野蛮國・クロパトキン」という空想上の国名とロシアの軍人の名前がよくわからず、→『ヤマバタキン』

土人の國まで撃ちませば
→土瓶の口から吐き出せば
これはバリエーションとして吹き出せばとなっている地域も多いようだ。

そして、バルチック艦隊の節は
よくわかんないんで
『ば』からはじまる
ババアの歳は85
にしたと思われる。

まとめ

ばあちゃんたちは
いろんなことを教えてくれた。

何から作業をしながら
暇な学校の帰り道
いろんなところでこのうたがうたわれていたのだろう。

現代でも遊び歌はあって
一番有名なのは「お正月」か

もういくつ寝ると、お正月、お正月にはたこあげて、コマを回して遊びましょう、早くこいこいお正月。


もういくつ寝ると、お正月
お正月には餅食って、喉に詰まらせ死んじゃった
はーやくこいこい救急車

子ども心に死んでるのになんで救急車なんやとおもってた。
ん…もしかしたら霊柩車やったんかな。

きっと昔は
ネットもテレビもないから
乃木大将の凱旋と
ロシアに勝ったという国民の喜びは
しりとり歌という形をとることで
おぼえやすく、
人から人へ
口伝されていった。

最初に思いついて
意図的にこの歌をつくったのか
結果として
国民に受け入れられて広がったかはわからない。

しかし、国を挙げて戦時中の英雄を
盛り上げていたことは事実であろう。

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