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「遊びを言語化する意味」



お前は凡人ということを理解しろ

高校3年生のときに
親父にプレゼントされた言葉だ。
あの時は、
親が子どもを堕としてどないすんねん。
と思っていたが、的を得ている。

他の人が一回でできること、理解できることをお前はできない。なので、他の人の3倍〜5倍やってスタートラインや

そんなことだった。


今、「環境」の教科書と自分のできること、やってきたことを繋げる作業している。

教育要領も保育指針も
恥ずかしながら20年前の知識をもう一度
アップデートしてるかんじ

誰かに何かを伝えるためには、
学び続けないといけない。
そして、疑問を持ち続けないとあかん。
疑問持つ事は多動の気質から問題ない。
しいていうなら。車運転してる時に地名や看板、道端の植物などきになることが多すぎてかみさんに怒られるくらい。

その本質を理解する努力を続けることで
余計なものが剥がれ落ちていく感覚。
だんだんシンプルに
「芯」みたいなものがのこっていく。

ありがたいことに
先生方の先生になること、誰かに伝えるお仕事が増えた。

自信がないから
毎回同じレジュメを書き直す。

どう表現すれば、理解しやすいか
どう言語化すれば、ストンとおちるのか。

人間が聞いた事は
相当なインパクトがないとわすれる。

講義でつたえたことを、レジュメで
ふりかえることができるように、写真やポイントを整理していく。

児童館の職員は
遊びを通じた健全育成がお仕事なので
遊びの導入や引っ張り込むことには長ける。

しかしながら
こどもの変化にかんして
なんとなく「遊びは大事」としかいえない。

その遊びが、どのように学びに作用して
どう効果がでるのか
それをもっとつきつめれば、

子どもたちの発達段階に応じた課題解決に
処方するように、遊びを並べることができる。

子ども自身は「たのしいから」
独楽をまわす、
泥団子作る
草花遊びする
でいい。

その効果をわざわざ
こどもに伝える必要性もない。
支援者がその効果や効率的なアプローチを
心の中で「ねらい」としてもっているかどうかだと思う。

支援者がその道のプロである必要性はないが
支援者に伝えるのであれば
それぞれの「あそび」を伝えるだけの知識と
何よりも「たのしんでる背中」はもっとかなあかんと感じる。


というわけで、
しゃあなしでおもいっきり遊ぶわwww
昨日、「ほんま理屈っぽいな」といったかみさんに、

遊び理由を正当化する壮大な理屈終了



#ひかる泥団子
#京都教育大
#こままわし
#日本こままわし協会
#たけとんぼ
#昔遊び研究


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