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「のらくろ玩具」の謎を追え

先日、オークションで
鉛メンコと称された
ものを落札。

画面上でみたそれは
私が知っている鉛メンコとは形状も何もちがう。
もしかしたら知らないベーゴマか?とおもって落とした。

まぁ、実物見てみて考えよう
そして到着。
その表記には「おはじき」

…おはじきじゃないやろなぁ

実物を見ると
謎が深まる。

すこしイラスト面が凹んでいるため、ベーゴマとしては使えない。

イラストは
のらくろに加え
ベティ
ミッキー
などアメリカがわのイラストがあることから
1930年ごろ戦前のものであろう。

コイン状態の二つを真ん中でピン留めしてあって
内側は真っ平に整形してあり、ぴったり重なる。



ピンを持てば2枚のコイン状のものは回転する
むかしのハンドスピナーかとさえおもったw

鉛メンコ
おはじき
豆ヨーヨー
ハンドスピナー

鉛メンコであれば
わざわざ2枚をくっつける必要はなく
それぞれ2枚で使えるだろう。

はじめから
聞くことは好きじゃない。
数日かけていろいろしらべるが…


何を検索してもでてこなく
ギブアップ

独楽博物館の師匠に助けを求める。

すると
即答で
「火薬を挟んで破裂させる玩具」
との返答が来た。

なるほど
「地雷」だ!
内側が真っ平に整形されてる理由もこれでわかる。

1930年は投下弾など
火薬遊びが流行している
「地雷」は
紙火薬を内側に挟み、地面に仕掛ける。
人や車などが踏んだ際に火薬が潰されて破裂するわけだ。

投下弾は
以前、ベーゴマとともに
おまけでもろた。

これも、紙火薬を挟み投げて
破裂させるあそびで、
これは
ジャンプ弾になる

地雷型は 
私たちが小さい頃には
ガチャガチャで
手榴弾型などと共に、
戦車型で誰かに踏ますものがあった。

しかし、さすが師匠である。
そこで
「鉛メンコとして使われた可能性はありますか?」
ときいたところ

『子どもの遊びは「考える余地を残すもの」。
たとえば土(泥)めんこは、「穴一」で始まり、その後おはじきに、投げて当ててビー玉(のように)に、上からおとしてひっくりかえす。それが変化して鉛めんこや紙めんこに。大きくしてできたのが石けり(ガラス面子)。要はなんでも子どもの知恵で遊びが生れるということではないでしょうか』

と返答があった。
自分の質問を恥ずかしく思う。

この玩具はこう遊べと決められていたわけでなく、
やく90年前の当時の
子どもたちは
このふたつを手に取って
さまざまな遊びにつかったにちがいない。

私が
面バイを泥メンコからの派生と考えたのと同じだ

大人がこれはこうして遊ぶんやと固定するとこどものあそびの世界観を狭めているのかもしれない。

そのご、自宅の資料をごそごそ…あった。

中西研究室から貰い受けた
おもちゃ博物館シリーズの
縁日と駄菓子屋玩具2に
その名も「地雷」として紹介されていた。

そこにのっていたのは
肉弾三勇士や桜のデザイン。
のらくろやベティ、ミッキーは珍しいかもしれん。


いかに
資料に軽く目を通しているかがわかるな。

反省
玩具研究は一生かけて続きます。

#火薬玩具
#戦前玩具
#地雷
#こどものおもちゃ

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