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今日も珈琲がうまい。

ちょっとアホな与太話にお付き合い願いたい。


人はインプットとアウトプットを繰り返しながら、生きている。

教科書や参考書を読む(インプット)
学んだ事を資格試験や仕事で活かす(アウトプット)

暗算でお会計間違えた(インプット)
計算機を使うようにした(アウトプット)

朝、暖かい布団に甘えて遅刻(インプット)
10分早く家を出てみた(アウトプット)

ひたすらこれの繰り返しなのである。

珈琲屋として色んな人と雑談して情報交換すると、
その人その人がどんなインプットとアウトプットを繰り返して来たのかが垣間見え、いつしか雑談自体が私の趣味になった。

そこでいつも気になってしまうのが、
人によって無駄の概念が違う事だ。

全てに合理性を求める人が見ればそれはただのサボりで、無駄。
だけど私にとっては、様々な視点から物事を見るのに大切。
みたいに、十人十色のインプットとアウトプットの道のりがあって、十人十色の視点から、十人十色の無駄の概念が生まれる。

ある人から見れば無駄になる事も、
ある人から見れば価値ある事になる。

初対面の方の人柄を知りたいときは、「何に無駄を感じますか?」と聞くのが良いと思ってしまうほど、無駄の概念が気になってしまう。

この話の結論として、無意識かつ半永久的にインプットとアウトプット繰り返す人々の無駄だけをかき集めて、ごちゃ混ぜにできる環境作りが、多様性の鍵と言えるだろう。

理想論でなく実社会へ落とし込んで考えると近い答えは、利益か情の関係性になる。

魚や自然界の生物ではない、
デジタル界のAIではない、
人間が創り出せる世界観の面白さとはここにあって、
人間は無駄を生み出せる唯一無二の天才生物なのかもしれない。



【インプットとアウトプット】そこから生まれる【無駄】
きっと今後の珈琲人生テーマはこれにある。


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