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【芥川龍之介と河童】

芥川龍之介と「芥川賞」について考えます。

芥川龍之介の命日は、1927年(昭和2年)7月24日。雨の降りしきるなか、田端の自室で服毒自殺を図りました。芥川の自殺直前の厭世的で、病的な心境は晩年の作品「河童」の中で表現されています。
「僕の将来に対する唯ぼんやりした不安」との言葉を残しており、芥川の自殺の「動機」として頻繁に取り上げられます。
芥川龍之介の命日は、小説「河童」から取って今では「河童忌」と呼ばれています。「河童」といえば芥川龍之介。こうした連想ができると良いですね。

芥川龍之介は自殺を図った1927年の7月に2人の人物に会いに行きました。しかし、すれ違いで会えず終いでした。2人とは下記の人物です。
①菊池寛(1888〜1948)
②室生犀星(1889〜1962)

菊池寛は香川県高松市出身。
彼は文学の道を志し、22歳で第一高等学校(現在の東京大学)に入学。同期入学に後に親友となる芥川龍之介がいました。
1923年(大正12年)1月に創刊された「文藝春秋」は、若い作家のための雑誌として菊池寛が興した雑誌です。創刊号の巻頭を飾ったのが、芥川龍之介の「侏儒の言葉」でした。

菊池寛は芥川龍之介の親友でした。自殺して亡くなった芥川の葬儀で弔辞を呼んだのも彼でした。芥川の自殺後の1935年(昭和10年)、新人作家を顕彰する「芥川龍之介賞」を設立しました。それが今も残る「芥川賞」なのです。

「芥川賞」は今は亡き、芥川龍之介と菊池寛の2人の友情が残したものだったのです。

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