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「三島由紀夫」について考える

三島由紀夫(1925〜1970)の本名は平岡公威(ひらおかきみたけ)です。戦後の日本文学界を代表する作家の1人です。三島由紀夫は満年齢と昭和の年数が一致することで知られています。20歳(昭和20年)で終戦を迎え、45歳(昭和45年)の時に陸上自衛隊市ヶ谷駐屯地で割腹自殺を図りました。その人生の節目や活躍が昭和時代の日本の興廃や盛衰の歴史的出来事と重なることから、「昭和」と生涯を共にし、時代の持つ問題点を明らかにした人物として今も人気の高い作家です。

三島由紀夫は戦前・戦後の時代を生きました。そして、戦後の日本人の変質していく姿に違和感を感じ続けていたように思えます。戦争に参加していつでも「死ぬ」覚悟でいたのですが、「死ぬ」機会を逃してしまった。何事もなかったかのように戦後の社会に馴染んでいける周囲に対して問題意識を持っていました。彼は皇国主義者でした。戦前の天皇中心の国家観を持ち、戦後の象徴天皇制に批判的な考えを持っていました。

三島由紀夫の代表作は「金閣寺」です。
小説「金閣寺」では、「認識」と「行為」の問題が扱われています。「観念」と「実態」の問題と言っても良いかもしれません。「金閣寺」はひとつの象徴です。僕の推察ですが、「金閣寺」は「天皇」のたとえではないでしょうか?
三島の生きた戦前と戦後。何が変わったのでしょうか?1番の大きな変化は「天皇」に対する国民の意識です。存在としての「天皇」は生き続けましたが、国民の「認識」が変わりました。戦前には現人神であり、国家元帥であった天皇は、戦後はただの人になりました。実際には国民が天皇に対する「認識」を変えたのですね。大勢の人たちが、昨日まで持っていた「天皇」に対する認識を変え、「認識」を変えることによって「幸せな時代」が来たと言って新しい時代を生きるようになりました。実態が変わる必要性はありません。国民が天皇に対する「認識」を変えさえすれば良いかったのです。
建築物としての「金閣寺」にどれほどの価値があるのでしょうか?実はそんなことにはあまり意味がありません。「金閣寺は尊い」という「観念」がその人にとっての「価値」を形成しているからです。
同じことが、天皇にも言えます。存在としての「天皇」にどれほどの価値があるのか?そんなことにはあまり意味がありません。「天皇には価値がある」という「観念」がその人にとっての「価値」を形成しているからです。「認識」を変化させるだけで、ものの価値は大きく変わります。戦後は「天皇」に対する価値観を180度変えることで発展してきたといえるのです。

三島由紀夫は1968年に祖国防衛組織として「楯の会」を立ち上げました。そして、1970年11月25日に「楯の会」の会員4人とともに陸上自衛隊市ヶ谷駐屯地の総監室に潜入、人質を取って籠城しました。自衛隊に決起を呼びかける演説を行い、演説の後、「楯の会」の同志である森田必勝とともに自ら割腹自殺を図り亡くなりました。三島が割腹自殺を図ったのは1970年11月25日。今から50年以上前のことです。三島由紀夫の享年は45歳でした。

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