【ヨーロッパの成立】
ヨーロッパを民族的に大きく分類すると3つに分けられます。
①ラテン民族
②ゲルマン民族
③スラブ民族
ヨーロッパ文明の起源はギリシア文明です。それを引き継いだローマ帝国が建国され、ローマ帝国が築いた文明とキリスト教の伝播が基盤となって現在に至っています。ローマ帝国を築いたイタリア人はラテン系です。その他では、フランス人、スペイン人がラテン系の民族です。ラテン系の民族は、ヨーロッパの地理的な位置で考えると「南方」の温かい地中海沿岸に居住していました。つまり、ローマ文明は「南方」にいたラテン系の民族がより「北方」もしくは「東方」の地域へその文明を伝播させていった歴史と言えます。
ローマ帝国は征服した領地を幾つかの「管区」に分けて統治を行いました。
有名な「管区」は下記の通りです。
①ガリア(フランス)
②ヒスパニア(スペイン)
③ブリタニア(イングランド)
④アジア(トルコ)
⑤パンノニア(ハンガリー)
⑥ダルマチア(クロアチア)
⑦ダキア(ルーマニア)
⑧マケドニア(ギリシア・ブルガリア)
ローマ帝国が衰退した大きな理由は下記の通りです。
①キリスト教の普及
②ゲルマン民族の侵攻
「キリスト教が広まることがなぜローマ帝国の衰退につながったのか?」疑問に思われた方もいると思います。後に、叙任権闘争へとつながっていくのですが、宗教が大きな力を持つようになると相対的に為政者の権力は弱まります。聖職者であるローマ教皇(教権)の力が強まることで、ローマ皇帝(俗権)は権威を失墜させていきました。
ローマ帝国におけるキリスト教の布教、ゲルマン民族の侵攻とローマ帝国の分裂までの推移は下記の通りです。
①313年: ミラノ勅令・キリスト教の公認
②392年: キリスト教国教化
③395年: ローマ帝国東西分裂
④476年: 西ローマ帝国滅亡
西ローマ帝国が滅亡した後(476)、旧西ローマ帝国領には多くのゲルマン諸国家が起こりました。ガリア一帯を統一したのがフランク王国です。フランク王国の建国は481年です。
ヨーロッパの歴史の大きな動きの流れは下記の通りです。
①ローマ帝国期
・ゲルマン民族の侵攻(4世紀)
②フランク王国期
・ノルマン人の侵攻(9〜10世紀)
ちなみに、ゲルマン民族とは現在のドイツ語圏に住んでいた人たちのことです。ローマ帝国の中心であるイタリアと比較して寒冷な地域に暮らしていた民族です。「ノルマン人」というのは現在のデンマーク王国のあるユトランド半島、その北にあるスカンジナビア半島に暮らしていた人たちのことです。俗に「ヴァイキング」と呼ばれた海洋航海に優れた技術を持った武装グループのことです。彼らは北方系ゲルマン人と呼ばれ、民族的にはドイツなどのゲルマン民族と同じ系統にあたります。
フランク王国でもっとも有名な人物が、カール=マルテル(688〜741)です。カール大帝と呼ばれた彼は、フランク王国の宮宰でした。当時アラビア半島で台頭してきたイスラム勢力をトゥール・ポワティエ間の戦い(732)で破り、キリスト教世界の防衛を図りました。
カール大帝はトゥール・ポワティエ間の戦いを勝利に導いた功績で、宮宰から皇帝になることができました。「マホメットなくしてシャルルマーニュなし」という言葉がありますが、それはこのことから派生しています。
フランク王国は、現在のフランス、イタリア、ドイツに渡る広大な領域を支配していました。そして、この王国が現在のヨーロッパの原型になっていきます。 フランク王国はカール大帝の死に伴う相続で843年にヴェルダン条約により3分割され、870年のメルセン条約でほぼ現在のフランス、イタリア、ドイツの3ヶ国の国境の原型ができました。
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