見出し画像

【まとめ】『熟達論』為末大

これまでの投稿した日記の中で、
『専門性を身につけよう』というワードに違和感を感じ、本来の学びとは未来を見通したうえでの逆算的なものではなく、『別人になるかのように到達が予想できないもの』であると学んできた。

今回は、走る哲学者とも評される為末大さんの新著『熟達論』と運よく出会うことができたので、ポイントをメモしながら、さらに学びを深めていきたい。
この本が語る熟達のいきつくところは『空』の境地だ。言葉(意識)からも離れ、自分を縛る偏見や価値観からも離れ、ただためらいもなく、今を生きる状態。僕が自分の抱えるなにかを文章にしている限り、それは意識していることであるわけだから、この境地には絶対に辿り着けない。

でも、この本では空に至るまでに4つのステップをふむ必要があり、『空』を経たのちもそれを最終時点とえず、また最初のステップである『遊』と戻ることが示されている。この本の根底には、ステップを上がり続けるために必要な継続を生む『遊』こそ最大のポイントであるように理解した。

それぞれのステップで『自分の捉え方』についてヒントを残してくれているのも有難い。数年前、数か月のトレーニングを経て、トレーナーから『へーデルくんは、自分を扱うことが苦手だね』と言われた。
技能の習得は早いほうだが、肝心の心の部分がついていかず、すぐに『やらされている』という心境に陥るのだ。1番最初に投稿した『もったいないとわれた』ことに通じていくにだと思う。
自分の扱いと技能をスパイラルさせることが大事と説くこの本は、そんな自分にとっては、とてもヒントになる実用書だ。この知見をどのように自分に活かしていくのか、別の投稿で書きたい。





熟達の定義


熟達とは、『人間総体としての探求であり、技能と自分が影響しあい、相互に高まること』
→ダイエットの理論を知っていても痩せられないのは、『自分自身に成し遂げさせる方法』を実践をとして体得していないから起きる。『技能』を通じて『私の扱い方』を学び、『私の扱い方』を通じて、『技能』が探求される。そして、1つの分野ごとにその関係性があるのはなく、一人の総体としてあらゆることに応用されている。

熟達の価値


ハイパフォーマンスは、目的とされるものへの最適化がもたらす。最適化を求める技能は機械に代替可能である。機械ができず人間のみできる営みは【主観的体験】をすることである。熟達とは主観的体験のプロセスであり、夢中を生み出す。夢中になることによって外界の感じ取り方が変容し、リアリティが高まる(内田先生がいうところの、学びとは別人になること、に繋がりそう)

熟達と孤独はセット


熟達するためには孤独がセット。人間の生存戦略は集団化すること、群れになることで生き抜く。そのため孤独に弱く、承認欲求がある。他者の評価に明確な基準はなく、方法論もないため、翻弄され疲弊していく。
本能である集団への同調から距離をとるためには、他者とのかかわりを断つ孤独の時間をもつこと。当たり前から離れることで独創性が生まれる。熟達は夢中を生むので、孤独のストレスを和らげる。

熟達のプロセス(仮説)


大きく5段階あり、明確な区切りがない場合もある。段階ごとに意識すべきことが異なるため、アドバイスに矛盾を生じさせることもある
遊→型→観→心→空の順で、熟達が進むと考える

第1段階【遊】


自然に湧き上がる、つい思いついてしまうこと。好奇心やいたづら心から遊びが生まれる。遊びは計画性がなく軽率さを生じさせるため、失敗を引き起こし、学びへと誘う。
遊びの定義は、『主体的であり、面白さを伴い、不規則なもの』とする。
役に立つからではなく、面白いからやっている。余白があり、どうなるか予想がつかない。遊びの動機は『未来報酬型』ではなく『現在報酬型』。未来報酬型は得たい未来のために今を犠牲にするという構図のため、心の燃料を消費しながら今やっていることがムダにならないように犠牲を払う必要がある。燃料切れになる可能性もある。社会は前者の『未来報酬型』を指向することを当たり前としている。
また、あそびは、周囲を気にせず集中するため、躊躇をすることなく『思いっきり動かす』経験を生じさせる。全身で取り組むことが質の違いを生み、技能を最大限に活かせる条件となる
・自分を評価することから入ると思いっきり動けない
・あそびは多様な経験を生むため、自分の特徴をとらえやすくする

熱意の先にあるもの~視野狭窄


重要だと感じると重圧をおぼえ、熱中するほどに周りが見えなくなる。意識的に別の視点を走らせることで追い込まれることを回避する必要がある。重圧をかんじたり目標達成直前のタイミングで失敗したくないと守りに入り、身体が固くなり結果的に失敗するケースもある。そのため、すべてをプロセスだととらえるが大事で、それは目的を持たない遊びからもたらされる感覚だ

遊びの条件:主体性をはぐくむには


好奇心は外部環境に依存しないが、善悪の区別もない。
好奇心だけでは人は主体的に動けない。『やれば変わる』という原体験が必要となる。成功体験を重ね勇気をはぐくむ必要がある

遊び続けることは難しい


どんな遊びも繰り返していたら、いづれ飽きる。面白いと感じ続けるには、自分なりに実感がもてる、変化による驚きが必要。つまり、自ら変化を起こし、新たな展開を生み出す(もしくは感じ方を変化させていく)

第2段階『型』

型の定義
・土台となる最も基本的なもの。何も考えなくてもそれができる状態
・型があることで、1つ上の段階で創造的に遊べるようになる
 つまり、遊びをさらに発展させるために型はある
・型を新しく入れ替えることは、覚えた癖を忘れることくらい難しい。また1つ組み替えることで全体のバランスが崩れるリスクもある
・人間は他の動物に比べて、あらゆる領域で複雑なことも柔軟に適応するつくりをもっている。色々なアプローチが可能となる。柔らかさの型をはめることで限界に近い重量を持つことができる。

型を手に入れる方法→模倣


・模倣は、観察と再現の2段階がある
・観察は、写実を繰り返→相手の立場になって観察する
・動きが同じになるまで、意識するところを変える
・観察と再現を繰り返し、無意識で行える状態までもっていく
・型の大事さは体験した後に気づく。説明されてもわからない
・型は一連の流れで構成されるため、流派をまたいだいいとこどりはできない。丸のみが前提
・型の段階は、面白さを実感しにくい。失敗による反応を意識的に小さくし、淡々と続ける

良い型と悪い方の判別方法


・良い型はある程度普遍性をもっている
・悪い型はある程度判断できる
(シンプルではない、検証がされず迷信の可能性を含む、万能をうたっている)
※最適解の型はその状況によって変化していく
※自分を無視して憧れのみで追うと抜きんでることができない

第3段階『観』

・型を習得することで別のことの集中できるようになる
・より解像度高く、立体的に観る。より細かく分けて観る
・量の蓄積→ある日、闘値を超える→部分の理解→全体の理解
・分けることで見えなくなる部分もある
・構造と関係性(因果関係)を理解し、より広範に影響を与えている部分にめぼしをつけて改善していく。できるとわかるは違う。できるだけで構造を
把握していないと自分で修正できない
・集中の濃淡と距離の取り方が大事になってくる。刺激のあとは客観視する
・観察がうまい人は俯瞰と集中を使い分けている。集中よりも、視点移動の少ない俯瞰のほうが変化に気づきやすい。集中と俯瞰の落差が激しいほど深く観察できる
・雑念はどんな人でもわくが、滞留時間を短くすることはできる

第4段階『心』


・型の構造が観でわかり、どこをおさえればうまくいくのか見つけられる。
・不必要な部分の力が抜けることで、動きがより洗練されていく。無駄がないため動きが自然体。
・そのため、どんな状況でも的確に調整をいれ、常に安定した動きを生む
・基準値をもてることで、異常をいちはやく察知し正常に戻すことができる
・個人差らしさが生じてくる。オリジナルの中心があるこで、より遊べるようになる
・準備が省略され、構えが省略される。相手に隙をみせず、隙をつける

個性とは


・相対的な他者比較か、過去の履歴で見るか
・自分を観察する際も過去と今の環境が異なれば個性が変化している場合もある
・状況によって評価や見方が変わる個性よりも、短所と長所を振り分ける自分の偏見を把握するほうが大事。偏見も価値観の一部。
・勝ちたいのであれば自分の特徴を活かせる場所を選ぶことは絶対条件となる
・こうでありたいという願望やこうでなくてはという偏見を取り除き、あるがままを観察する(諦めるは明らめる)
・成功体験でうまくいかなくなったときは、自分の特徴、中心はなにかを再び問うこと
・技能と創造性は双方向の関係で高めあう。

第4段階『空』


・思い込みは自分の中にある
・とらわれている意識すらない制限にどう気づき、解き放たれるか
・言葉なく、ただ夢中になることで価値観の影響を受けない
・本当に素晴らしいものは1つ1つ分解して分析ができない
・熟達の道をふむと、感覚で判断し動いても崩れない。意識が働かないからこそ一貫性を保たなければんばらないという前提からも脱却ができる
・空に再現性なく人生を変えるわけではないが、今を生きるというリアリティを変える。まわりのことはただの情報に過ぎず、逆に現実感は薄れる


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?