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自立とは依存先を増やすこと

昔、担当理学療法士さんから「スタッフの中に『三谷さんがリハビリに依存している』という意見もあるんです」という言葉を耳にした時、私が感じたのは戸惑いと怒りと悲しみと否定の気持ちでした。
その反発が、それまで安心して通える場所だったリハ室との距離感に繋がったと、今でも思っています。
棘となって刺さり続ける言葉ってあるよね。
依存という言葉には、強い破壊力がある。

でも今、私はペイン主治医に依存しているのだなぁと、誰に言われたわけでも無く、自分自身で、そう思うんです。


私にとってペインクリニックは、綱渡りの下の安全網みたいなもの。
これがあるから、勇気を出して足を進めることができる。

そして、馴染みのバーのマスターみたいなもの(笑)
辛いこと悲しいこと痛いこと愚痴もろもろ、みんなここでしゃべって、すっきりして、また次の日頑張る事が出来る。

え、それって普通、家族とかの役割じゃないの?って言われそうだけれど、この病を得てからの私にとって家は「第二の仕事場」であり、痛みをおして頑張らなくてはならない場所でもあるんです。

何より「痛い」と言う事で、家族が心配したり悲しくなったり疎ましくなったりするのではないかという余計な思い込みと、(妻として母として)ちゃんと出来てなくてごめんなさいという負い目がいつもつきまとってます。

その点、良くも悪くも、私が痛かろうが辛かろうがお構いなくしょーもない冗談を言いまくり、好調を喜ぶわけでもなく(好調で喜ばれると不調の時悲しまれそうで怖いのです)、かつ絶不調の時は医師としてしっかり守って下さり、さらに私が泣いても怒っても全く動じない・・もはや何を話しても翌週には忘れてるんじゃ無いかと思う程(^_^;)・・そんなキャラのペイン主治医は、安心してマイナスのエネルギーを放出できる貴重な存在でした。

何か辛いことがあっても、痛みが強くしんどくても
「次の受診の時に主治医に聞いてもらおう」と思えば頑張れる。
笑顔という鎧で感情をブロックしていればやり過ごせる。

それに慣れること十数年。
気がつけば、私が安心して痛い、辛いと言える相手はペイン主治医だけになっていました。これはまずい・・。
先生がいなくなったらヤバい。自分を保てる自信が無い。

これを依存というのではないだろうか・・・



私が尊敬する熊谷晋一郎先生が語られていた、

「自立とは依存先を増やすこと」

という言葉が、今、胸に響きます。

「どうせ分かってもらえないから痛いことも辛いこともあえて伝えない」という思考回路が身についてしまった私だけれど、1割分かってくれる人が10人いれば大丈夫なはず。

これからの人生を見据えて、依存先を増やすこと=心を開く相手を増やすこと、を意識しなきゃいけないなぁと思う今日この頃です。

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