クリスマスに寄せて
クリスマスになると、幼かった頃、毎年両親と妹と4人で教会のクリスマス礼拝に行っていた事を思い出します。
よそ行きのベルベットのワンピースを着せてもらって。
オルガンの音色、牧師さんのお話。大きなクリスマスツリー。
そして、礼拝後、キャンドルを持って教会の周囲を白い息を吐きながら歩いて。教会に戻ったら温かいスープが用意されていて・・
私はこのクリスマス礼拝が大好きでした。
・・物心ついたときから、私の両親の仲はギクシャクしていて、私は幼いながらも、2人の中を取り持ちたいと気を遣いながら過ごしていました。
家の中はもちろん、旅行や外出時も何かのきっかけで険悪な雰囲気になることが度々なので、気を抜けなかった。
でも、このクリスマス礼拝の時だけは、ぜーったいにケンカしないし、2人仲良く並んで教会の長椅子に座ってるし。優しい。
椅子に腰掛けて足をぶらぶらさせながら、よくわかんないけれど神様ってすごいなと思った記憶があります。
その後、両親の仲は冷え切り、家族4人でのお出かけも無くなりました。
どちらかと言えばパパッ子だった私。
毎晩遅くに帰宅する父が、家で居場所がない、なんてことが無いように。
母も妹も寝た後、意味も無く夜更けまでリビングで過ごして「お帰りー」を言ってから自分の部屋にもどるようにしたりしていたなぁ・・。
その後父は家を出て、私が大学生の頃、両親は離婚しました。
調停の場に弁護士さんを立て、駆け寄る私に目を合わせず、顔を背けた、その時の父の顔と切ない気持ちを今でも覚えています。
もちろん、父は父なりに、母は母なりに心から私を愛してくれている。
それは十分に感じているし、私も大人なので、夫婦の愛と親子の愛は別物だと分かってる。
それでも両親に仲良くあって欲しかったのは、自分を授かったから結婚にふみきったというエピソード、そして私は望まれて生まれてきたのだと思いたかったから。
50歳を過ぎても、クリスマスになると、幼かったクリスマス礼拝の記憶をたどっています。
ちなみに、この話やその後の結構壮絶な出来事は「闘病中」は絶対に誰にも語るまいと心に決めていました。
そんなことしたら「心理社会的要因」とかいうカテゴリーでしか私の痛みを診てもらえなくなるという、恐怖にも似た気持ち。
愛する夫と4人の子どもに恵まれた幸せな奥さん&お母さんであるために、それと相反するエピソードは治療場面でもブログでも封印し、医療者に愛されるべく前向きに頑張る患者さんとして振る舞っていたなぁ。
それが功を奏したかどうかは不明だけれど。
少なくとも、私にとっては古傷をえぐられること無くCRPSを寛解状態にもっていく事が出来たという点で良かったと思っています。
こういった(世間で言うところの)マイナスな事を断片的にぽつりぽつりと語れるようになったのは、リハ卒業後、本の出版後、何年も経って以降のペイン受診時だけ、です。
何の評価もせず、聞き流してくれる主治医のスタンスが好き。
(なんなら、聞いた端から忘れていってると思う ^_^;)
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