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山谷・泪橋ホールにて、石橋幸トリオによるロシアのジプシーと囚人の唄ライブを開催しました。

2023年5月20日(土)、ロシアのアウトカーストによって歌い継がれてきた唄を歌う石橋幸さんと、小沢あき さん(ギター)、河崎純さん(コントラバス)のトリオによるライブを東京の山谷・泪橋ホールさんにて開催しました。

Photo by 三浦麻旅子

石橋幸さんが探し集めた、国家や独裁政権の抑圧に虐げられた民衆たちの唄を聴き、飲み、平和への祈りを語らい過ごす時間として企画しました。

イベントの詳細ページはこちらです。

各出演者、会場、地域の紹介を下にも記載します。

石橋幸 Ishibashi Miyuki (唄)
ロシア各地を訪れ、民衆との語らいを通じて自ら歌謡、俗謡を30年に渡り探し集める。ロシアの唄をロシア語で歌う日本唯一の歌手。早稲田大から演劇活動を、劇団「仲間」に7年間。ロシア語でロシア唄。日本各地、ロシアでもライヴコンサート。 2010年クレムリン宮殿で行われた歌謡祭「シャンソン・オブ・ザ・イヤー」に日本人で初めてゲスト出演し、特別賞を受賞。毎年、新宿紀伊國屋ホールでライブコンサートを開催する他、店主を務める新宿ゴールデン街「ガルガンチュア」店内でも毎月ライブコンサートを開催。

Photo by 三浦麻旅子

小沢あき Ozawa Aki(ギター)
10代後半NYへ。Bill Ficca(TELEVISION)、Howie Wyeth(Bob Dylan)等と共演。 Jazz、Pops、Avant-garde、タンゴ、フラメンコ、演劇やサイレント映画の伴奏、プロデュース、楽曲提供等、活動の範囲は多岐に亘る。近年はロシア、アルメニア、ブリヤート共和国等の国際演劇祭、国際音楽祭等に出演。 サンクトペテルブルクで開催された International Music Competitionでオーディエンス賞を獲得。   https://akiozawa.jimdofree.com/

Photo by 三浦麻旅子

河崎純 Kawasaki Jun(コントラバス)
主に舞台作品の音楽監督、構成、委嘱作品の作曲。2022年は著書「ユーラシアの歌」(ぶなのもり)、韓国、ロシアの歌手を擁する二作の作曲作品CD「HOMELANDS」「STRANGELANDS」(BishopRecords)を発表。主催する音楽詩劇研究所では、ユーラシアンオペラの第三作目となる「A Night The Sky was Full of Crazy Stars」を作曲、演出。 演劇・ダンス・音楽劇、実験的なパフォーマンスを中心にこれまで100作以上の舞台作品の音楽監督、作曲、演奏を手掛ける。歌、声の表現、朗読、演劇、コンテンポラリーダンス、伝統芸能の要素を用いた詩劇、音楽劇スタイルの舞台作品の作、構成、演出。 https://www.biologiamusic.com

Photo by 三浦麻旅子

石橋幸トリオについて(イベント概要文より)
花園神社の裏にたたずむ少し間の抜けた顔の狛犬を尻目に階段を降りると目の前にある新宿ゴールデン街。最近は扉を開け放しているお店も多く、ふらっと吸い込まれてしまうようなお店があるのも魅力ですが、「ガルガンチュア」の扉はいつもがっちりと閉まっています。そして、ひとたび中に入るとその扉のおかげでとても落ち着きます。10人は入れない空間の中で開かれる予約制のコンサート。トリオの時だけではなく、他のアーティストと共演したりソロコンサートの時もあります。それぞれ誰も歩んでいない旅をしてきた3人によってその時かぎり響く音が、毎回違った思い出を与えてくれます。

「ガルガンチュア」店内。筆者撮影。

山谷について(イベント概要文より)
山谷は江戸時代には被差別部落と刑場に挟まれた立地から安宿が集まる地域でした。その時代から近代まで、日雇い労働者の街、労働運動の拠点、路上に追いやられながらも山谷に暮らし続けてきた方のために集まった支援者による福祉の街、安い宿を求めて訪れた国内外からの旅行客の街へと変貌してきました。個人の膨大な歴史が集まり一つの記憶を持ったような街だとも思います。

日光街道。路面電車の通っていた吉野通り。筆者撮影。

映画喫茶「泪橋ホール」について(イベント概要文より)
オーナー店主の多田裕美子さんは、以前山谷にあり現在は福祉施設となった食堂「丸善食堂」の娘さんです。フリーランスでカメラのお仕事をされてきた方で、2016年には「山谷 ヤマの男」(筑摩書房)という本を出されました。大変活気のある方で、ギターの小沢あきさんとは30年前に根岸で交流があるそうです。
泪橋ホール」では、普段は山谷に暮らすおじさんたち、地元の方が、のんびりお茶を飲んだりご飯を食べに来たりしており、週末はドキュメンタリーの上映会やトーク、踊りやライブ、朗読などが開催されています。

泪橋ホールの入り口。数々のイベントポスター。筆者撮影。

この街で石橋幸さんに歌っていただきたかった

石橋幸さんが店主を務めるお店「ガルガンチュア」へは飲み友達とふらりと新宿ゴールデン街へ訪れた際にお邪魔したことがきっかけでときどき伺うようになりました。ゴールデン街へ行く時は殆ど「ガルガンチュア」へ行くことが目的で訪れるばかりになりました。
ここで伺った話はいつも心の深いところにずっしりと残っており、いつか忘れてしまわぬように書き留めておかなくてはと思うものばかりです。隣り合うお客さんとの会話もひとつひとつが印象深く、どれも忘れがたい夜です。

そんな石橋幸さんが音楽家の河崎純さんと旧知の仲だと気づいたのは何度かお店へ通ってからのことでした。河崎さんとは全く別の場所でお会いしていました。それから、同じく新宿にある「ラバンデリア」で開催される石橋幸トリオライブ、「ガルガンチュア」で行われるライブ通称「ガルコン」、紀伊国屋ホールで毎年行われるコンサート「僕の庭」などへも足を伸ばすようになりました。

石橋幸さんに山谷で歌ってもらいたいと思い描いたのは2018年の紀伊国屋ホールでのコンサートを聴いている時でした。

私は在学中に山谷という言葉を知りました。ここでは深く書くことをしませんが、この地域で働きたいと思い実際に居座り続けて5年が経った頃です。

山谷に生きた人を知る本
「山谷ヤマの男」多田裕美子/「赤いコートの女」宮下忠子


石橋幸さんの唄に出てくる、広いロシアの大地に生きた登場人物たちの感情と、私が山谷で出会った、社会に翻弄されながらも自分の人生を生きた男女の人生は私の知り得ない深い部分で共鳴しているように思われました。山谷でこの唄や音が響くとどんな風に聴こえるのかがとても気になりました。

それからほぼ5年越しに、やっと山谷へ石橋幸トリオをお呼びすることができました。何かを企画するには責任が伴いますので、できれば余裕のある時に行いたいものですが、人間生きていると余裕のある日など永遠に訪れません。それに気づき、尊敬する皆さんをお呼びして、失礼なこともしてしまうかもしれないという不安にいったん目を瞑り企画を進めることにしたのは、やはりロシアによるウクライナへの侵攻がきっかけでした。

戦争で死ぬのは、政治家ではなく兵士です。そして、現実には一切の責任がない子どもを含む多くの市民がすでに亡くなっています。

石橋幸さんの歌う唄の中には、独裁政権の奪い去ることができなかった民衆の生きた声が残っています。孤児の唄、ジプシー娘の唄、兵士の唄、囚人の唄、どれも権力から一番遠い人々の声です。実際には歌うことはできなかったかもしれない人々の声。歌い継がれ、石橋幸さんの語りによって息を吹き返す彼らの声を聴くと、逆らうことのできない圧力の中でも自分の感性と言葉を手放さずに生きることこそが国家の暴力に抵抗する力の源であろうと確信します。

小塚原刑場と、東日本全域の被差別部落を支配した浅草弾左衛門の本拠のあった地に挟まれ、隣には日本最大の遊廓が存在した山谷。国家の"繁栄"の裏に生きた人々の歴史が集積してきたこの象徴的な場所で、ロシアの大地にかつて生きた民衆の声が響いた時間、私はそこに訪れたこの時代を生きるさまざまな人の一人として、言いようのない悲しみと安心感に包まれました。山谷に暮らす人、はじめて訪れた人、さまざまな人が集まった客席からの拍手がやまない時間からは希望を受け取りました。

ライブに訪れてくださった皆さまからは、石橋幸さんの唄を聴いているとまるで目の前に唄の中の人がいるようであったという感想をたくさんもらいました。それは、歌の始まる前の「語り」の時から始まっている、という言葉も多く聞きました。私が感じることと全く同じ思いを持ってくださっていたのだと、そういった感想を聞けたことは嬉しかったです。

終了後には会場の泪橋ホールさんで、近隣に店舗を構えるカストリ書房の本を販売しつつ、飲み物や餃子を前にして語らいの時間が続きました。

カストリ書房より持ち込んだ書籍。筆写撮影。
「鎖塚」「赤い人」は北海道開拓の囚人労働に関する書籍。筆写撮影。

目的がある訳でもなさそうにぷらぷらと歩く人たちが行き交い、文句でも挨拶でも、何となくすれ違う者同士が声を掛け合ってしまうこの日の山谷の雰囲気。暖かい曇り空の下で行われた三年ぶりの三社祭のせいでしょうか。石橋幸さんは、ロシアで出会った子供たちのことを思い出したと言われていました。

道を行く人が度々足を止め、ポスターを真剣に眺めてもくれている姿にも出会うことができました。ぜひ、またこのような機会をつくりたいと思いました。

石橋幸さんのライブはガルガンチュアや他の場所でも毎月行われています。ぜひ、各出演者のSNSなどを参考に、ご予約の上訪れてみてください。

改めまして、出演者の皆さま、ライブへお越しいただいた皆さま、会場の泪橋ホールさま、ご近所の皆さま、記事を読んでくださった皆さま、ご協力いただいた多くの皆さま、ありがとうございました。

Photo by 三浦麻旅子

※経費を引いた収益分と主催からの寄付合わせて少額ですが10,000円を人道支援を行うUNHCRへ寄付いたしましたことをご報告いたします。

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