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2020.6.12 AIは優秀すぎると非合理的に

今日は、準備していた記事をやっとweb上にあげることができてほっとした。
他の追加取材も少しずつすすんでいる。いろいろなものに背中を押してもらったのでしっかりやり切りたい。

古い建物や独特の世界を持ったお店や場所が無くなる時になって悲しむこと、本当に慣れない、さみしい体験だ。仕方がないとはいいたくない。感謝はしても、やっぱりさみしいし、何か少しでもその脈を流れるものを残すことができないかと思ってしまう。

あとをつぐ人の話を聞くということは、私なりの、そういうものへの反応のひとつ。

神保町から離れて、他の地域のあとつぎのはなしも聞きたい。

海外に暮らす友達が、何人か。予定を過ぎてもなかなか帰れず、不安な様子だ。

仕事も探さないといけないし、本当に大変な経験だ。実際何が大変というより、何もしなくてもいい時間があるというのは、不安なことばかり頭に浮かんできて大変なんだ。

アップデートを観た。予想していたよりエンタメだったし、オチはけっこうラストギリギリまではっきりとわからなかった。最後まで観るとターミネーターより、あり得る話。

AIが極限まで高性能になれば、より人間に近づくとすれば、それは判断がどんどん非合理的になっていくということなのかもしれない。


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