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2020.6.4 水ようかんの歯触り

やらなきゃいけないことがひと段落して気持ちがすっきりした。

水ようかんを食べた。
向田邦子のエッセイを読んでから水ようかんが好きな食べ物になって、真似して、水ようかんを食べる時は部屋を片付け、ちゃんと服を着てきれいにしてから食べるようにしている。

スーパーの適当なのではなく、お菓子屋さんのちゃんとしたもの。今年初めの水ようかんは秩父の老舗で売られているという黒糖水ようかんにした。想像より歯触りにざらつきがあったけどこういうものだったかな。一年に一、二回しか食べないから忘れてしまう。

ブラックミラーを全話観終わった、、つかれてしまった。

観るのがこわかった国家は想像よりおもしろく、テクノロジーが現在のものだったのが他の話と比べて異質だった。世論については最近よく考えさせられていたので、こうやってデフォルメされた物語に触れるとそれを観て自分がどう感じるかがわかるので興味深い。

人格をコピーされたプログラムが永遠に存在しなくてはいけない悲劇を描いたストーリーが多いと思ったけど、これは映画のAIやアイロボットの時から描かれていることにも近いなと思った。限りなく人間に近いロボットや思考が誕生したとき、死がないことはどう影響するのか。

私は死なない世界に興味あるので、サン・ジュニペロのような死後が近い将来ほんとに現れればと思う。ハッピーな世界にもなるし、地獄にもなるし、テクノロジーはそれを使う人間次第でどうにでもなるということかな。

さいきんは赤ん坊がよく動くので目を離せない。お風呂に入れてバウンサーに置いて私がバスタオルを手に取ったその数秒で転がり落ちてしまってでんぐり返しになった。心臓が止まるかと思った。赤ん坊は意外と丈夫にできているけど、もう二度と転がしたくない。。

赤ん坊が大人になって看取ってくれるなら死ぬのはぜんぜん怖くないなぁと思った。それはかなり贅沢な話なんだろうけど、亡くなった祖父母は皆んな家族の誰かに看取られたなぁ、と思い出した。家族でなくても、やっぱり死ぬときは誰かそばにいてほしいなと何となく今日は改めて思った。

誰かの亡くなる時には、誰でも、なるべく側にいたいと思った。亡くなってしまった後のお葬式には、あんまり関心がないみたい。

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