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映画『FRANK』で考える物事の捉え方。何を見せるべきか、見るべきか。

少し前に『FRANK』という映画を見た。

田舎町でミュージシャンに憧れる青年が、ひょんな事からあるバンドのメンバーとしてスカウトされる。

言われるがままにバンドメンバーとしてステージに立ったが、なんと奇妙なことにボーカルのフランクが終始おかしな被り物を被っていた。どうやら他のメンバーの誰もフランクの素顔を知らない。最初は彼の音楽に魅せられてついていった主人公だったが、バンド人気にあやかり、だんだんと自らのエゴを出し始める。

この映画の面白いところは、フランクの正体があるイケメン俳優だという事と、誰もが最初は気になっていたその正体が、終盤では正直どうでもよく思えてしまうところだ。

素顔がどうだろうと、フランクの表現したかったことは全て彼の音楽に込められていた。言葉も気持ちも音を通して全部曝け出していた。それなのに主人公は目先の楽しさにのめり込むあまり、本質じゃないことをし続けバンドを混乱させる。

「おいおいズレてるぜ兄さん!」

何を見せるべきか、何を見るべきかというのとは心底大事だと思う。

恐らく色々な物事に通じて言えること。
自分も普段から意識している。

例えば『映画のレビュー』

「登場人物の心情が描けていなかった。」なんて文を良く見かけるのだが、これが入っているだけでお粗末なレビューにしか見えなくなる。

そうじゃない。その作品とって、全ての登場人物の心情や過去を描き切ることが本当に本質なのかと。むしろその作品においては、誰にでも簡単に理解し得るようなご丁寧な説明なんて蛇足でしかなかったのかもしれない。

物語に深みを持たせるため。
別の何かを際立たせるため。
鑑賞者に想像の幅を持たせるため。

大事なのは、「何故描かれていないのか」を考えることじゃないだろうか。

まあ、「物事の捉え方は人それぞれ」なんて言われればそれまでだが。



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