「ミッドナイトイマジナリーフレンド清純異性交遊」考察

これは大森靖子自由字架 2022/2/22 ビルボード横浜2部で演奏された楽曲に関する考察です。

※読んでくれる方へ、あくまで個人的妄想に近い考察だと思ってお手柔らかに読んでください。

https://twitter.com/naono2001jp/status/1496134555707002881?s=21

以下、書き起こしてみた歌詞。
★は曲の乗り替わり▲は原曲と異なる点
(※▲には聞き取りの怪しい点もあります。)

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全体の構成における大きな点として、この演奏は「ミッドナイト清純異性交遊」を終え「イマジナリーフレンド」を歌い出しミッドナイトの歌詞を挟み込みマッシュアップして歌い上げている。聞いていると概ねイマジナリーフレンドを歌い切っているように思えるが原曲歌詞「うさうさうさちゃんの憂さ晴らし」を一度もしていない。むしろうさちゃんに行きそうなタイミングでうさちゃんから想起する人物に捧げた曲に移っているという構成。

靖子ちゃんがいつか活動を共にできることを夢見て描いたミッドナイト清純異性交遊、その時に生まれた実像とは別の、靖子ちゃんの頭の中にだけいる自分を奮い立たせ元気づけ寄り添ってくれる夢のような存在。それはアイドルでありながら自分だけの本当に特別な存在だったと言えるのだろう、“友達”とさえ言ってしまえるような距離感の。

「黒髪少女で妄想通りさ
 それだけが イマジナリーフレンド」

そして時が経ち夢が叶い実際に活動を共にする日が訪れ、想像を超えて現実にその存在が降り立ち交流する日々が訪れたことにより、靖子ちゃん自身の脳内に生まれていた想像上の寄り添ってくれた存在は役目を終える。
だが、現実は妄想と異なり相手に影響を及ぼしてしまう。2人だけの世界で生きるわけではないのだから相手にも社会的な変化が及ぶから。

「君を喰ってしまったらどうしよう
 エラーばっかの人生が 遂に君に及んで」

望んだ未来を得たことにより訪れる苦悩

「(なんか関わらなきゃよかったな)」

でも自分の不甲斐なさをどんなに自覚し悔いようが歩み出した現実、実際に生まれた関係は消えない。
だから、想像の中の存在とお別れをしなければいけない。

「きっと僕も君を必要じゃなくなってしまったんだね
 お別れなんてきいてないよ
 きっと ひとりずつの世界になった

 アンダーグラウンドから君の指まで
 遠くはないのさiPhoneのあかりをのこして
 ワンルームファンタジー
 黒髪少女で妄想通りさ 君だけがアイドル」

客観的な事象だけを見れば夢が現実になって良かったね、なのかもしれないが、大切なものを得たことによりずっと大切にしていた自分の中にだけいた存在を手放す、もう二度と手に入らないものがそこにあった、そんな極めて形になりにくいものにこの歌は形をくれている。

あくまでこれは靖子ちゃんの心の中だけに閉まっておきたかった思い出なのかもしれない、それを曲を重ね合わせることでそっと形づくって私たちに見せてくれたのかもしれない。
もしくはこれは想像でしかなく、創造でしかないのかもしれない。
ただ、そのどちらであれ恐るべきはここまで考察に値する“作品”をステージ上で、おそらく即興で、靖子ちゃんは組み上げている、ということ。

世界は本当にここにある才能をもっと認めても良いんじゃないかな。

そしてみんなも伝えてあげてよ。
全然エラーばっかの人生じゃないよ、って。
いつも最高をありがとう、って。


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