対等であれ

誰かに弱みを握られているからとか
色々やってもらいすぎてしまっているとか
その人は凄すぎて自分にとっては、恐縮すぎるとか

そんなときって、自分の意思を言っては申し訳無いんじゃないか?って思う時ってないですか?


自分の意思は横に置いて、その人の言うことを聞いた方がいのではないのか?って。

その人を喜ばせようとして、その人を尊重しようとして、自ら下手に出る。


自分の意思はシャットダウン。

言うことを聞かないといけない。
言うことを聞いてたら丸く収まる。
言うことを聞くのがみんなの平和。


それが、きっと全て上手くいく方法。


しかし、そう考えた時点で、
そうしようと思った時点で
依存関係は発生しはじめます。


思えば思うほど、そうやって行動に移せば移すほど、自分の中のなにかが叫び出す。


そこに居心地の悪さを感じ始めます。

なぜ私はこんなに生きづらいのだろう?
なぜ私はこんなに苦しいのだろう?

そんな事を思ってしまいます。



それは、自分を押し殺しているから。


まずそこに気づくこと。
息苦しくなってきたら、なんでだろう?
って思い、考えること。

そしたらきっと観えてくる。

『あー私、自分を表現出来てなかった!』
って。

気づけたらそこから、どう行動に移すかそれを考えていけばいい。


そう思いはじめたということが、依存関係が解消されつつある証拠。


きっと、そのはじめの一歩は勇気がいる。

今までしてこなかったことだから。

していたことと、真反対のことだから。


でも、そこで勇気を持って自分の気持ちに従おう。


それが ”対等である“ ということ。


それは、
本当の意味で、自分も相手も平和な世界。


それは、
本当の意味での愛ある世界。


私はそう想います。


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