自己満足5ー目的

泥すすさんのインスタライブで感じること。

〜あくまでも、個人的感想です。〜

このライブの目的ってなんだろう?前回のライブで見た違和感が、今回のライブでうっすら晴れました。

泥すすのユニットはお笑い芸人さんの集まりであって、タレントさんではないので、各々が持っているお笑いに落とし込まないといけないんですよね。

というのは、きっかけはpであって、ちょっとかっこいいや、ちょっと面白いから見ている人(自分も含め)をファンにするには、それぞれの人間性を含めた芸なんですよね。

私なりの分析はpは感覚するどいのに子供だったから、表現(プレゼン)できずにいたのを大人な相方が具現化して表現できて今の人気になっていると思う。お互いそれを認め合っているのが素敵だといつも思う。

そういった人を惹ききむ魅力や芸って両方備わっていないと売れないのだろうな。賢い人はわかっていると思うし、その為に考え努力しているのだと最近感じる。

ユニットでやっている以上、漫才だけちょっとおもしろくても、平場で協力しあわないといけないし、お互いを尊重してしていないといけない。インライが一つのコントとしてみると前回、今回は楽しいです。ただ、平場とすると、悪ノリが過ぎて気持ち悪いって感じ。

また、pが科す毎月の罰ゲームの内容って、罰ではなく、その人を成長させる為のものだって感じたら、罰ゲームの内容に関心してしまいます。先月の狩野さんはその意図は初め分からなくても真面目(真剣)にこなしてちょっとずつかっこいい大人になっていく変化が見ている私はワクワクしていました。罰ゲームは無くなったけど、pの意図を汲んでこれからも誠実、実直にいろんなことに着実に取り組んで大人になってほしいと思うわけです。

で今月の大ちゃんは…。実は泥すすメンバーの漫才を見て、高校生の娘はブラゴーリが1番面白いし、対応も好きと言っていました。私には分からなくても、若い感性には響いているんだろうな。だからこそ勿体無いと思うわけです。漫才も面白いのに今一歩抜け出せないのはそこではないでしょうか?苦手なことに正面から向き合わない。できる限り責任を取らなくて済む方向に逃げる。だからこその今回の罰ゲームのような気がします。

目的がまちまちだとガチャガチャしてみなくなります。目的はあってもいつの間にか忘れているのでは?と思いました。

最近インライをリアルタイムで見なくなった理由を自分なりに勝手に考えてみました。メンバーのみなさんはそんなのとっくにわかっているとか、そんなんじゃないとか思っているでしょうね。すいません、勝手な評論家気取りの投稿でした。