ことばの教室

息子は言葉がおそく、たどたどしかった。小さいころから細かいところにひっかかり、なにごとも他の子より遅かった。でも早生まれだったし、生活に支障はないし、個性だからとなにもしていませんでした。小学校に入って、字は汚いけど、ただ字が汚いなぁだけで終わっていました。

小学1年生の終わり、担任に呼び出されて学校に行ったときに「ことばの教室」を紹介されました。なんとなく、そうだろうなと思ったことを覚えています。ただ、自分から相談するのはおおげさかもと思うくらい、生活に支障をきたしていなかったのです。そうして言葉の教室の面談を受けに行きました。

テストもしました。結果はグレー。能力は悪いわけではないけど、凸凹の検査結果で、発音もちょっと怪しかったので言葉の教室に通うことになりました。通って数か月、2年生1学期の終わりごろ、発音の練習もしながら、書き取りの練習もしていました。ここからは想像ですが、彼はなんとなく、他の人とできることの量や、話が思うように伝わらないことに対して生きづらさを感じていたのではないかな。でも表現もできないから親に伝えることができないし、知識も少ないからよくわからないしで、何となく日々を過ごしていたのではないかな。2年生の1学期の通常クラスの面談のことを今でも覚えています。ちょうど引っ越しを決めたころ、学校で面談が終わって廊下にでたところで、1年の担任の先生とおあいしました。その時半泣きで、「先生!ことばの教室に通ったおかげで、息子のなぞり書きがなぞり書きになりました。ありがとうございます」といったことを今でも覚えています。息子は、直線がかけず、なぞり書きが常にはみ出ていたのです。

先日家の片づけをしていて言葉の教室の当時の連絡帳が出てきました。その中で「つ」の発音練習をしていること、家ではできないことを指摘しないことが言葉の教室の先生からの連絡に記されていました。ほんのちょっとの専門的指導で息子は劇的に変化しました。残念ながら引っ越すことを決めていたので、この時通ったのは数か月です。

田舎に引っ越してきて、小学校の面談に行ったとき、こどばの教室について学校に聞いてみました。通う予定の小学校ではなく、となりの小学校にあるということを聞き、ぜひ通いたいといい、発音も大分直っていたので田舎の言葉の教室としては通うほどではないがという感じでしたが、結果2年半通いました。

言葉の教室を通して、親として学んだことは2つあります。一つは子供の話しが終わるのを待つ、もう一つは子供のやっていることを否定しない(できていないと指摘しない)です。

今思うと、東京でも、田舎でも同じ方針で指導してくれていました。

話し方がたどたどしかったりすると、自宅でおじいちゃんたちとの会話中無意識に息子はこう思っていると先走って説明していました。私が息子の話を待つことができなかったのです。またできないことも、できるまで待つことができず、否定するつもりで言った言葉ではなくても否定していたことが多々ありました。

こんな感じで、息子は生きづらさを少し解消して今に至ります。中学卒業後の数ヶ月で、一気に大人っぽくなり、外に出してもなんとかなるかなと思うくらいに成長しました。

今でも家族での会話の中では「何言っているかわかんない」「だから」「結局何が言いたいの」などなど、私や娘からきつい言葉が交わされます。息子は昔は伝わらないなら会話を自ら終了していましたが、最近では伝えなおそうとします。

また時折、娘は私が息子の話に私が口を出すと「お母さんは黙っていて」と遮り、弟と会話するようにしてくれてます。そのおかげか、いまだに説明や会話が上手ではありませんが、自分のできないこと苦手なことを理解し、努力して自分なりの表現しています。結果、学校ではぼっちではなく、友達付き合いをしているようです。勝手にボッチになると親が思っていたわけで、今思うとひどい親でした。

ことばの教室のおかげで息子より私のほうが救われたのかもしれません。