自己満足6- 幸せ

推しの方々の活動を見て思うことを、勝手に評論家気取りでまとめる、自己満足も6回(7回)目。

私は推しの方々の笑顔というか幸せそうな表情が見たいのだと思う。みんなが笑顔になるのはとても難しいことで、誰かをディスった笑いだと、ディスられた人が笑顔じゃないとだめだと思うし、自己中の笑いだと、こちらがついていけないことが多々。漫才がとても受けて最後満足いった顔も笑顔の一種だと思う。

実は若手の漫才を見ることができません。なぜかというと、漫才中に余裕がない感じに伝わるから。一生懸命だったり、ネタが面白いは2の次3の次。私が漫才においてみたいのは、演者の二人が楽しんで演じている様子。たまにハプニングがあって、焦っていても、余裕があれば大丈夫。わざとそうするタイプの漫才もありますよね(千鳥さんとか、ノンスタイルさんとか)。その余裕ってどこから生まれるかというと、経験値や練習量のような気がします。ネタの練習だったり、活舌の練習だったり、舞台上での経験などで余裕が生まれるのではないでしょうか。また、演者がお客を笑わそうではなく、楽しませようとしてくれると、”笑え” という脅迫的なものが取れて気軽に見れるようになると思います。楽しくないと笑えません。

こうやって文章にして読み返すと、私はお笑い好きではなく、TVやYouTube、劇場の「楽しいよ!」という雰囲気が好きなだけです。

”楽しませる”という目的を忘れた漫才は面白くても売れない。だって、私みたいなお笑い自体が好きではない一般人は笑えないのですから。なんか芸術家と似ていますね。自分が周りに合わせるか、周りが自分に合わせるか。周りが自分に合わせるタイプで売れているの方々は、セルフプロデュースができないから身近の方がプロデュースすることで売れているような気がします。

今週、Exitの二人がマイナーなラジオで話した会話はとても興味深く何度も聞いています。内容についてはなぜここで?というコアな話なのですが、話が聞けてうれしかったです。私はなぜ、この二人を追いかけ、雑誌をよみ、いらないアプリをインストールしてでもラジオをきき、Youtyubeを飽きずに見ているのか考えてみました。

この二人はファンを楽しませるという目的を忘れていないからだと思います。ファンがファンでいる理由は千差万別です。私の場合は、二人が楽しそうのにしているのをみていると幸せな気分になれるから。あとこの二人は、今後どう身を振るのだろうという興味です。そして、それぞれ自分の求める幸せを手に入れてほしいと思うからです。彼らが幸せだと自分も幸せと感じます。

彼らの幸せがなにかは本当のところはわからないですが、ラジオを聞く限り、ファンを楽しませたいということであれば、ファンの要望を分析し、その要望をかなえるための、ビジョンをしっかり持ち、そのために自分たちで考え行動しているので、見ている側は楽しんでみることができます。結果ファンを続けているということです。

また、私の勝手な分析を入れると、彼らのセルフプロデュースのほとんどは、体がなぜ自分たちを起用したかを理解して、宣伝するという優しさが感じられるのです。自分が自分が!ということがない余裕というか優しさを感じます。

結局、この二人を追っかけていて彼らのやさしさがみれると、自分を幸せにしてくれるのではという妄想を持ってしまうことが、ファンを続けているもう一つの理由ですね。情を求めているのかな⁇

動物が人を慰めてくれる映像や、ご主人が喜んでいる芸を見ると幸せになりますよね。これって、人が愛情もって動物たちに接しているからとれる映像だと思いませんか?そんな愛情が素敵だから見てしまうのです。

ギブアンドテイクがあるから続く関係で、私にとってのテイクは何度も言いますが推しの方々の笑顔であってその笑顔を見たいから自分にできる応援を続けています。推しが続くためには笑顔をずーっと見ていたいと思わせることが必要です。

本当のお笑いファンの方々は、私のような存在は邪魔かもしれないですね。彼らの漫才は私のようなものでもわかるものにしてくれているので面白いし楽しいです。でもそれは彼らの求めるお笑いではないようです。おそらく彼らの求める笑いは私には理解出来ないでしょう。

ただ、彼らがガチのお笑いファン以外も動かすことによってそれなりに経済が回っている。ということは覚えておいた方がいいと思います。